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あと少しのDIY

重い鏡筒を赤道儀に装着するにはどうする?
説明書には「鏡筒は重い*1ので設置は二人以上で行ってください」
orz
俺は孤独な一匹狼だ。どないせっちゅうねん。だがしかし。
blog.goo.ne.jp

www.youtube.com
この動画の発見の契機になったblogの記事でも記載されているように、動画Up主の背後にトレーラーが映っているので、機材を運ぶにはこのクラスの輸送能力が必要なのかもしれない。しかし約20kgの鏡筒を30cm持ち上げるだけならホームセンターに売っている何やかやで作れないかな。油圧式に拘らなくていい。全機材がミニバンやSUVで搬送可能な程度にしたい。考えてみよう。

いや、待てよ?

このエントリ初版をUpしてからふと思い立った。これ、毎度毎度ジャッキアップしなきゃならないものなのか? 赤道儀と鏡筒の相対的位置関係され定まれば、鏡筒に余程オプション付けて重量バランスが変わらない限り、人力で持ち上げて、鏡筒をある程度の高さで保持する"固定式土台"さえあれば十分なんじゃないか?

あっ!!

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ホームセンターに売ってる普通の丸椅子*2使って、一人で鏡筒装着出来ちゃったよ…。勿論これではバランスが悪いので丸椅子と鏡筒の間に何か挟んで高さ調節したり、直接鏡筒と接する面には保護シートを敷いた方が良いとは思うが。あと足場が悪いのであればそれなりの工夫が必要とは思うが…。

結論

無きゃ作れ 有るなら使え 何物も

*1:約20kg

*2:実は20年近く前の大学進学時に一人暮らしを始める際に購入した、ウチでは"最長老"の一つ

"行儀が悪い"と言う以前に

togetter.com
私が北海道開拓を担った屯田兵の末裔である故、いかに米を収穫するのに困難が伴うか、別にTOKIOのアレを見ずとも、祖父の苦労を偲ぶにつけ、米を粗末にすることに対し凄まじい嫌悪感を覚えるというのはあくまでも個人的な感想。それはさておいて、"「米を茶碗に残してごちそうさまする」人間から距離を置くべきと考えるのは、以下の4点が推測されるからである。

  1. 食べ物を粗末にするということに抵抗が無い価値観を有していると思われること。故に他の食材も粗末に扱う可能性がある。そもそも物を粗末に扱うことに抵抗感が無いのかもしれない。
  2. 米を残さず食べるために必要な箸の操作ができていない。箸を扱う文化圏ではない、あるいは医学的な理由があるのは除くとして、それでも箸の扱いに問題があるということは。これは第4項にも関わってくる。
  3. それを他者から咎められても一切意に介しない「金払ってるから好きに食わせろ」「どう食おうが勝手」「他人に迷惑かけてない」という独善的価値観を有していると思われること。端的に言うと「他人の意見に耳をかさない」。食事以外の事でもそうである可能性がある。
  4. そのことを咎める教育者が家庭内ならびに教育環境に存在しない、或いはしなかったと推定されること。これは婚姻関係を持つ上で重要になる。有り体に言えば、ウトメからそのような価値観を植え付けられる可能性があるということ。

「農家の方に失礼」「お米には神様が宿っている」「ご飯粒残さずに食べないと目が潰れる」とか、スピリチュアル的な理由で納得するものか。マナーや行儀など持ち出しても「そんなの俺に関係ねぇ」と言うだろう。なら、これならどうだってんだ。

「可能性は0ではない」の言い換え提案

以前tweetしたこともある気もするけれど。



「可能性は0ではありませんが…」
「ということは可能性があるってことですね?」
「可能性があるというのは、『微レ存』…は、知らなくて結構です。元ネタが元ネタなので。
 可能性があるというのは、例えば『明日宝くじで1億円当たる可能性は0じゃない!』とか、
 明日俺のところに突如某有名美人女優がやって来て『結婚してください!』と言ってくれる可能性は0ではない! とか俺が言い出したら『アンタ大丈夫?』とか思いませんか?
 "可能性は0ではない"とは"そういうレベルの可能性ならある"と同義です。そんな"可能性"、あるって言えますかね?」



…まぁ、実際にこれに近い話はしたことあります。大変納得されておりました。

それが「テロ」と称される理由

自分の信念に殉じるだけなら「お好きにどうぞ」としか言わないが、
感染症となると、そうもいかないから問題なのだよ。

「ああいう手合いに共通してんのは、いろんなもんを憎んでるってことだ。
  ただ憎むんじゃなく、問題なのは———
  いろんなもんを憎みすぎて———
  何を憎んでるのかもわからなくなっちまってる。
  そして最後は、何もかも巻き添えにして吹っ飛ばすのさ。」

広江礼威BLACK LAGOON 002」

慈悲あまねく慈愛深き神の御名において



I am a cogwheel of the fate. この躯は運命の歯車でできている
I've already fired furnace of my heart, 炉に情熱の灯火を
And kept blood and tears in crucible of my brain. 坩堝に涙と血液を
Criticism is my hammer, 批難は鉄槌
And organ is my anvil. "はらわた"は"かなとこ"
Withstood too much pain to realize ideal. 彼の者は独り、理想に焦死する
No Need to Hope望むことは無く
Nor Known to Hope望まれることも無い
I have no regrets. This is the only path.生涯に意味は不要、"そうあれかし"
Create the lance to penetrate someone's grief.穿つ槍のみ我が存在の証明
So as I pray ——願わくば ——


“Unlimited Blood Works”私の流す血が全てを贖いますように

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