昨日の親父のオヤジギャグを公開処刑にするのだけでは“不公平”なので、母からの手紙も、一節だけちょっと公開。実は、我が血族に密接に関わるネタになったりする。
こっから先はちょっとどうでもいい話。読みます?
Today's Music 「ローリンガール」
- 【終わりと新しい始まり】ローリンガール、歌ってみた【秋赤音】
初音ミクのオリジナル曲である「ローリンガール」を歌ってみた絵師(つまりPVも自描画)秋赤音さんの作品。契機は下記tweet。
おめでとうございます!これ本当に大好きです>< RT @_akiakane: いつの間にかのダブルミリオン。あざーっす!:【終わりと新しい始まり】ローリンガール、歌ってみた【秋赤音】 #nicovideo #sm9990071 URL
慈悲あまねく慈愛深き神の御名において
I am a cogwheel of the fate.
I've already fired furnace of my heart,
And kept blood and tears in crucible of my brain.
Criticism is my hammer,
And organ is my anvil.
Withstood too much pain to realize ideal.
No Need to Hope
Nor Known to Hope
I have no regrets. This is the only path.
Create the lance to penetrate someone's grief.
So as I pray ——
“Unlimited Blood Works”
幸せな帰結に至る難易度
縁あって、観た演劇の数も多くなってきたけど、やっぱり同意するのは下記。“少年漫画的展開”ではない“happy end”に至る物語は、やはり難しいのか。
物事というのは、まぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく。どう転んだところで宇宙が冷めていくことは止められない。“理に適った展開”だけを積み上げて構築された世界は、どうあってもエントロピーの支配から逃れられないのである。
故に、物語にハッピーエンドをもたらすという行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力を要求されるのだ。そこまでして人間賛歌を謳い上げる高潔な魂があってこそ、はじめて物語を救済できる。ハッピーエンドへの誘導は、それほどの力業と体力勝負を作者に要求するのである。