まぁ、思うところは色々あるけど。ただ一つオレが言えるのは、高校生の頃にこういう演説を聞いていれば、今の自分はもっとより良いものになっていたのに! と後悔する、なんてことは決して無い、ということだ。
もっとも、ただ単に、今の自分を失敗だと思いたくない、無意識のうちの防衛機制だ、と言われてしまえば、そうなのかもしれない。少なくとも、“自己の内在系ではその内在系の正しさを証明できない”のだから。ただ、それが防衛機制であろうとなかろうと、少なくとも「こんなはずじゃなかったのに」と呻いた事はないし、これからも邁進できる自信がある、という“事実”は、否定できないだろう。だって「俺は、俺だからだ。お前は、俺ではないからだ」。
そりゃ、人生に後悔はある。例えば「告白するならもっと状況と場所を選ぶべきだった」とか「デートに誘うならもっと別の手立てがあったのに」とかな(笑)。それに、後悔こそしていないだけで、それこそ中学、高校の頃は、相当に愚かだった。少なくとも、“点数至上主義”だったのは間違いないね。大学の教養の頃もこれをしっかり引き継いでいたから、一部の友人達には随分と腹立たしかっただろうけど。
でも、後悔するにせよ、しないにせよ。愚かだったにせよ、そうでないにせよ。今のオレがそれら一切合財の積み重ねである以上、それを無かったことになんて決して出来ないし、或いは過去が違っていたらいたで、今のオレがもっと良いものになっていた、かもしれないし、もっとダメダメだった、かもしれない。それは分からないし、分かる必要もない。だって、オレの人生はコレ一つしか、ないんだから。
確かに、医者という仕事がどういうものであるか、高校の頃別に病院でボランティアとかしていた訳ではないから、分かってはいなかったし、「ほぅ、こういう仕事であったか」と分かってきたのは、それこそBSTが始まったここ最近、というところだろう。「随分と因果な商売だなぁ」と思うこともしばしば。それでも自分の選択に後悔無く、むしろ面白いと思う。そりゃ、選択が正しかった、とは言い切れない。元々対人恐怖症だし(笑)。それでも、それを踏み倒すことが出来ている以上、問題はあるまいて。
そして、これだけの確信が持てるのは、確かに、オレは、“自分の内なる声”に従った結果だからだ。「好奇心」を始原に、「誰かの役に立ちたい」という社会的目覚めを経て、「理不尽に対する敵愾心」を燃やす。これから、どれだけの失敗やら絶望やらに叩き伏せられるかは分からないが、それでも、オレは、この選択を、間違いだったなんて言わないように、楽しんで行こうと思うんだ。
Everyday I listen to my heart
In times when I can't see
When my faith is nowhere to be found
I trust the voice in me
Everyday I listen to my heart
When I'm too numb to feel
When my strength is nowhere to be found
I trust the voice in ...
Me, in me
平原綾香 The Voice 〜“Jupiter” English Version〜