救われぬモノは必ずある。
全てを救うことなどできない。
千を得ようとして五百をこぼすのなら。
百を捨てて、九百を生かしきろう。
それが最も優れた手段。
つまり理想だ。
衛宮切嗣、最後の一言は間違ってます。それは理想ではありません。“現実”です。理想とは“千を生かしきること“そのものに他なりません。しかしそれが理想のままである以上、五百をこぼすのです。それを承知で尚理想に突っ切るか、或いは百を捨てて、九百を生かしきるか、その2つしかない選択を突き付けられているのが、“現実”というものです。第3の選択肢などありません。どうしてもと仰るなら、その第3の選択肢とやらを“現実化”した暁に、発言を許可します。…ああ、語弊がありました。発言が許可されます。
尤も、更に正確な状況説明をするならば。実際には、この“理想”と“現実”の軋轢の均衡下、およそ八百の救済と二百の犠牲が発生しています。現実主義者から言わせれば、約百の犠牲は、“そうならなくてもいいはずだった犠牲”だと、言うでしょうね。
私の仕事は理想を現実化することです。理想を口にすることでは、ありません。