世界は私の感覚に関作し、その関作さを識が解析し、解析結果に基づき行動する。行動により生ぜしめた世界の変化が“結果”である。この“結果”たる差分が再び感覚に関作する。事象は私と世界の間を恒久的に循環する。これが我が内に築きし“回路”。
…しかし、だ。循環によりいつまでも同じ場所に戻っていたのでは、さぞかし退屈且つ無意味なものであろう。それこそ「進歩の無いやつはバカだ」と言われかねん。循環は常に前進するためにある。ならば循環式に新たな次元を加えよう。循環に戻りて、而して元の位置に非ず。その差分こそ、前進の証。
道は既に定まりたれば、描く軌跡は、さぞかし美しい螺旋を描くだろうよ。