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“魚釣りの例え”に反旗を翻す。

事の発端は12月17日の「“斜め上”への進撃衝動」で書いた、試験対策作成の件である。人づてに聞いた話だが、俺の試験対策作成を、「ドラゴン桜」の“魚釣りの例え”を引き合いに非難していた奴がいたらしいのだ。俺は原作もドラマも見てないのでどんな話かと思ってググってみたら、こんなのが出てきた。

「飢えている生徒に対して魚を釣ってやろうとするのは一見愛にあふれているようで,生徒らを過小評価し成長の芽を摘んでしまう。自分で食っていけるよう魚の釣り方を教えてやる,生徒らを甘やかさず,自分で考え・自分で決め・自分で行動する自立心を育てるのが教師の仕事だ」

ドラゴン桜(7) (モーニング KC)

ドラゴン桜(7) (モーニング KC)

なるほど。実のところ、自分でもこんなことを思っていた時期もあった。「俺の作った試験対策データは、自分で学習する機会を奪っているのではないか」と。だが、この考えはすぐ破棄した。理由は幾つかあるが、折角例えを引き合いに非難されていることだし、この“魚釣りの例え”最大のピットホールを指摘することにしよう。

と言っても、そんなに大仰な話でもない。誰か、疑問に思わなかったろうか? 「魚釣りが魚を釣っている間、魚をもらっていた人は何してたの?」

冷酷な話だが。“口を開けてれば魚が入ってくる”と思っている奴は、魚釣りがいようといなかろうと、飢え死ぬのは時間の問題である。別に北原白秋の「まちぼうけ」を歌わなくても、この事実は理解されよう。“赤の女王”が支配するこの現世に於いて、無為はそのまま死に直結すると思え。そしてその結末は“無為”を選択した者の責任であり、魚釣りの責任じゃない。他人の人生は誰も肩代わりできないのだからね。「俺は俺だからだ。お前は俺ではないからだ。」ってヤツだ。(但し、不可抗力により“無為”にならざるを得ない人の為に、社会の各種システムがあることを、御忘れずに)

だが、大学受験を控えた高校生ならいざしらず、いい歳した大学生、しかも医学生が、誰かに手を引かれなければ何も出来ない、なんてことがあるものかね? 件の「魚釣りの例え」に則った話をするならば、俺の考えうる限り、“魚釣り”の存在下、以下の最低4種の人間が、普通は確実に発生する。

1人はこう思うだろう。「貰ってるばかりでは嫌だ。俺だって自分で魚釣りがしたい!」そして“魚釣り”に教えを請いに行くだろう。実際に教えてもらえるかどうかは、その“魚釣り”に依るだろうが。俺なら「同好の士が増えた」といってキャッキャとはしゃぐだろうが。

また別な人間はこう思うだろう。「何いい人ぶりやがって。アイツの釣ってる魚なんが、雑魚ばっかりじゃねえか。俺はマグロを釣って売りさばくぞ」といって、“魚釣り”の隣でマグロの競りでも始めるかもしれない。

しかし、誰も彼も釣りが上手い訳でもない、そもそも興味が無くてしないかもしれない。そこでこういう人も出てくるだろう。「俺は畑を耕して野菜作るぞ」。で、出来た野菜を抱えて“魚釣り”のところへ行って「俺の野菜とアンタの魚、交換しないか?」

で、さらにこう考える人間もいるだろう。「皆は魚を素焼にして喰っているが、もっと美味しく食べられる方法があるだろうに」。そこでその人間は小料理屋を開いて、“魚釣り”から貰った魚で、刺身や煮付けを作って振る舞うだろう。

さて。魚が“試験対策”に置き換わったら、上記の4種の人間は、それぞれどんな行動をとったか人物か、分かるかい?(笑

そして何より重要な話だが、「ドラゴン桜」の「魚釣りの例え」のように、個人個人で魚を釣り始める社会と、「4種+魚釣り」から成る社会の、一体どちらが、文化的レベルや多彩性を有してるだろうね? (まぁ尤も、どちらの社会にせよ、何もしない奴は勝手に飢え死んでいくだけで、1人で魚釣って1人で消費している“自己完結型”の人間は、誰にも相手にされないだろうが。)

結局、「ドラゴン桜」の「魚釣りの例え」は、“魚釣りしかすることの無い世界”——つまり、価値観が一義的に規定されている世界でのみ通用する概念なのだ。東大に限らず、大学受験というものは、日本全国の受験生が、試験という一義的価値観の下で競争するシステム、いわば「ゼロサムゲーム」の世界だ*1。だから件の例えが通用する。しかし実際の社会は、ありとあらゆる資材・手段・価値観が渦巻く混沌の様相を呈している、「ノン・ゼロサムゲーム」の世界だ(もちろん、限定的空間における「ゼロサムゲーム」の世界も、あるが)。

教育の話に戻せば、「口を開けて魚が入ってくる」のは中学生まで、「一義的価値観の下での競争」は大学受験まで、だ。一つの強力な概念旗下、大量の下位価値概念を保有する「ノン・ゼロサムゲーム」の住人である俺に、受験競争の残滓を未だ引きずっている「ゼロサムゲーム」の住人の戯言は、届きませんよ。

*1:尤も最近は、OA入試など、このシステムを逸脱した受験形式も少なくないが。

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