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negative information

別に医療界に限った話じゃないが、特に医療をやる上で絶対不可避なのが、「negative informationの伝達」だ。

みなさん、お店に入ってまずい料理が出てきたら、どうします?
  1. 二度と行かない。
  2. 「これまずいよ。」と教えてあげる。
すでにフィフティフィフティは使ってあります(笑)
aは競争原理・資本主義の原理に基づいての行動だと思うんですね。
でも、ぼくはbの方がお店にやさしい対応だと思います。
もちろんただまずいというだけでは単なる嫌がらせなので、こうこうこうするともっといいよ、とか、ちょっと味付けがきつすぎるとか、相手に対してプラスになるようなアドバイスを交えてってことになるわけですが。
それでもね
それを「嫌がらせ」ととるお店だってあるわけですよね。
こちらの注意の仕方や、相手の姿勢によっては、それはいくらでも「嫌味」になるわけです。

相手にnegative informationを与える上で重要な点が2つある。

  • その情報は信頼性がおけるものであるか否か
  • その情報が客観的に正しいとしても、それを受容する準備が相手にあるか否か

第一の点は、上記の料理の話に沿うならば、「その料理は本当に不味いのかどうか」ということが一つの例である。自分の味覚は、第三者とは違う特殊な味覚の持ち主ではないか? 自分には不味くても相手や第三者にとってみれば美味しいのではないかということである*1。もしそうであるならば、まずその情報そのものが相手にとって何の役にも立たないものになる。
料理の話に限らず、一般的に言えば「情報を伝える」ということは、その情報はこれから“相手”のものになって機能するのだから、相手の価値観や概念に適合したものでなければ使えないのである。ある対象に対して概念に差異のある2者間で情報をやりとりしてもあまり実りはない。
“情報の信頼性”における、もう一つの落とし穴が、また料理の話に沿うと、こちらは料理に関してはズブの素人であることである。まして相手の方がその方面に秀でた人物だと、こちらの情報の信頼性が疑わしくなる。…勿論、相手がどんな立場だろうと、こちらの方が正しいことだっていくらでもある。が、それならば相手に反駁するための指示情報を他に持ち合わせているか、主たる情報の信頼性を支持する、副次情報があるかどうかがカギとなる。
だいたい、それこそ医療ではよくある話。医師から見ればどこからどうみたって上気道炎なのに「私は肺炎なんです。抗生物質投与して下さい」*2と自分の意見を讓らない方とか、ね。まぁ、専門家の話を聞かないでSTEPの情報を鵜呑みにする某マスゴミの例でもいいですけど。
さて、とりあえず自分の情報が正しいと仮定して、次の点がある意味最も厄介である。negativeの文字通り、それが正しかろうと正しくなかろうと、その情報は相手にとって“受け入れがたい”情報なのだ。果たしてそれを受け入れてくれるかどうか。
俺もそうだが、人間は自分の間違いやら何やらを認めたくはないものである*3。そして程度の差こそあれ、相手を不快な気分にさせる。相手が受容できる状態ではないと、とてもじゃないが話にならない。聞き流されてしまっては、折角の情報が何の役にも立たない。その情報を以って、一時的には相手を不快にしても、最終的に相手の利益になるようにならなければ、negative informationを与える意義はないのだから。仮令その情報が正しくても、伝えればいいってものじゃない。
では、実際に相手を納得させて情報を伝えるにはどうすればいいのか、という解がなかなか出せないのが、私の限界であるのだが。少なくとも、以下の条件が満たされない限りは、私はnegative informationの提示はしない。

  • 自分の情報の信頼性が相手を納得させるに十分である、もしくは撤回できない何らかの理由がある
  • その情報を伝えることで、一時的には相手を不快にしても、最終的に相手の利益になることが予想される(ここで修正をかけることで更なる厄災を回避しうる、と言い換えても可)
  • 相手が感じる不快感を軽減するための想定しうる最大限の策を思考する。相手に恨まれても泣かない。

故に、俺は不味い料理が出ても何も言わない。向こうもプロなら素人の俺が口出すまでもない(だからその店が潰れようが私は知らない。その料理者の責任だ)。口出しするとすれば、親しい誰かが挑戦した料理ぐらいか。また、マネーゲームのようなゼロサムゲーム下では、自分が後ろめたいと思わない限り、礼儀は弁えても容赦はしない(リンク先の引越しの話)。
ただし、医療に関しては上記3条件が常時満たされているような状況なので、最初から提示回避なんていう選択肢を想定さえしえないのだけど。
negative informationの提示、回避するか伝えるか。伝えるならばどのような行程を採るか。それを見極めようともがく限り、私の人生の修行は終わらない。

ANOTHER

実は、これに関する意見を、俺は5年前にも書いている。表題は「悲しみの呪詞の先」。何分昔の文章なんで青臭いこと極まりないが、ご一読頂ければ幸いである。

*1:納豆を連想していただければ、こういう事例が決して特殊なものではないことが分かって頂けると思う。

*2:上気道炎はほとんどの場合ウイルス性なので抗生物質は無効。むしろ無効なのを承知で抗生物質など投与したら、今度は副作用が怖い。

*3:何せ、国家レベルでそれをやっているところもあるぐらいだ(藁)

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