- 「『老い』や『障害』も展示する動物園」: じっぽ先生「活字中毒R。(いやしのつえ)」/「琥珀色の戯言」
今でこそビッグネームになってしまい、すっかり観光名所化してしまった旭山動物園だが、旭川出身の私にとってみれば、あそこは“学習の場”だった。だから、そういう意味ではこのような挑戦は私は称賛したいと思う。
しかし、「老い」というのは、人間を含めすべての動物が等しく辿る道だし、動物の交通事故は人間が起こして、最悪の場合、動物たちの命を奪うのだが、ほとんどニュースにならない。ケガを負った動物たちは、人間が与える悪影響の”生き証人”なのである。北海道の野生動物が置かれている状況を知らせるには、こうした展示は必要だと考えている。
ものは言い様ではあるが。「障害を見せ物にしている」という批判は、“障害が見せ物である”という概念が無ければ出来ない発言であることに、批判の発言者は気づいていたのだろうか? 確かに、それを目にして何も思わなければ、ただ不快感を感じるだけならば、それは見せ物に過ぎなくなる。だが、“北海道の野生動物が置かれている状況”を学ぶ事が出来るなら、それは学習の機会になる。…すっかり“潔癖”になってしまったこの世の中では、そういう機会を与えられずに育ってしまう事が、あまりに多いのだから。