このblogでは気に入った言葉を[言霊]というカテゴリーでよく掲載している。これは他のサイトでもよくされていることだ。だが逆に、オレには、どーにも好きになれない言葉がある。
あなたが死にたいほどに辛く生きた今日は、昨日死んだ人があれほど生きたいと願った今日。
発言者不詳
理由は一つ。“昨日死んだ人があれほど生きたいと願”おうが何しようが、誰にも肩代わりすることなど出来ない。辛くても生きている事の喜びを、他人の願いのせいにするんじゃない! という思いがあるからである。他の誰が何を願おうが、お前が生きていることはお前だけの喜びだ。間違っても、他者に負い目など思うな。それを理由にしてある生に、お前にとっての意味などない、と。
「負い目、ですって…?」
「そ。同情とか憐憫とか、そういうの。
いいかい人間のお嬢さん。絶望にいるモノを救おうとするのなら、負の感情で動いてはいけないんだ。
負は正でなければ打ち消せない。悲しみに陥ったモノを哀しみで掬い上げでも、癒されないものがあるんだよ。
———ま、あれだな。救った後の社会復帰まで受け持つってんなら話は別だが、人間、そこまで暇なヤツぁ希だからな」
ケラケラと笑う。
遠くで怪物の咆哮が聞こえる。
バゼットはきょとんとオレを見つめている。
「分かり辛かった? なら例えばの話をしよう。
ある場所に、世界で一番不幸な目にあっているヤツがいるとする。ある日、アンタはそいつの事をニュースで知って落ちこんじまうんだが、それは意味のない感傷なんだ。
遠い世界の話には関われない。自分には関係のない所で誰かに不幸な出来事が起きたとしても、アンタは笑っていろ」
…そう、自分の世界にないものを救おうなんて、それは自分の世界を否定する事になる。
口にするまでもない世の摂理だ。
関係のない人間、反対をしない人間は、それだけであらゆる不幸を肯定している。
その不幸は覆らない。なら、何者かを犠牲にして立ち行っている幸福を甘受できなくてどうする。
たとえ醜悪な生であろうと、恵まれているのなら笑って受け入れなければ嘘になる。
その矛盾、その醜さと一生涯向き合っていくのがまっとうな人間だ。
ちなみに、これの続きがこちらになる。他でもない。“世界で一番不幸な目にあっているヤツ”の発言なのだから、笑わせる。お前がこれを言うのか、と。
作中での彼の意見*1は一貫されている。だから、結局彼が言いたかったのはこれなのだ。
「……バゼット、世界は続いている。
瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、今もこうして生きている。
それを―――希望がないと、おまえは笑うのか」