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(『涼宮ハルヒの憂鬱』ネタ)血反吐を吐くことを面白いと思えるなら

涼宮ハルヒの憂鬱』ネタです。ネタバレ注意。
いや、結局原作は読んではいないんだけどね。いい時代になったものだ、webでアニメすべてが見られるのだから。
アニメだけではない。MAD Movieも結構ころがっている。そのうちの一つを見て、思った事があったのだ。


涼宮ハルヒの憂鬱』#13「涼宮ハルヒの憂鬱V」を見る限り、「SOMEWHERE I BELONG」より「NUMB」の方が内容が合っていたんじゃないかな、と。キョンと遭うまでのハルヒは、この曲が歌い上げる閉塞感に駆られていたんじゃないかな、ってね。

踏切を渡り終えたところで、ハルヒが突然の独白。キョンに対し、自分がこの地球上で、いかにちっぽけな存在か、自覚したことがあるかと問う。そしてキョンの返答を待たずに、自分は自覚したことがあると発言。以下、自分がちっぽけな存在であることに気付いてしまったことの回想。

小学6年生の時、家族で野球場に野球を見に行った時のこと。野球場には人がいっぱいおり、ハルヒは日本中の人間がここに集まっているのではないかと思った。しかしオヤジから聞いたところによると、球場にいるのは5万人。日本の人口を1億人と仮定しても、2000分の1。この数字にハルヒは愕然。自分は野球場に集まった人混みの中のたった一人でしかなく、しかもこれほどの人混みが日本全体の一握りでしかないということに。

自分がいかにちっぽけかを思い知ったハルヒには、この世界が色あせたものになってしまった。自分が通う学校のクラスは、世界で最も面白い人達が集まっていると思っていたが、実は世界中どこにでもありふれたクラスでしかない。自分がやっていることは皆がやっている、普通の日常なんだと。その一方で、世界には、ちっとも普通ではない、面白い人生を送っている人がいるのだと思うようになった。そしてそれが、自分ではないのはなぜ? そんなことをずっと考えた。考えた結果、面白いことは、待っていてもやってこない。中学生になった時、ハルヒは自分を変えようとしたが、結局何も変わらなかった。高校生になってしばらく経過したが、今も何も変わっていない。

鈴木舟太氏「http://blog.syu-ta.jp/」より引用

文字通り、「I'VE BECOME SO NUMBすっかり感覚が麻痺してしまった」というヤツだ。アニメや原作の冒頭から語られるハルヒの奇行は、その閉塞感を打ち破りたくて足掻いていたものだ、ということがココで明らかになる訳だ。
まぁ、分からないでもないが、この感覚。嘗てはオレも思っていたことかもしれない。そして今なら絶対に相容れない感覚であるが。
その理由は…「月姫研究室」の「アニメ涼宮ハルヒの憂鬱雑記(4)」で殆ど語られてしまっていたので、もう明記する気にもならないけど。
はっきりしている事は「血反吐を吐くことさえ面白いと思えるなら、この世界は永遠に色褪せない」ということだ。“色褪せる”なら、“自分の血を塗ればよい”だけなのだからね。

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