- 「死因が心臓あるいは血管でなければそれでよいのか。【今】【私の目の前】でなければそれでよいのか。」: Dr. absinth「夢見るかえる」
とすれば医療は、ひとつの死因を別の死因にすり替えているだけなのではないか。
確かにそうなのだけれど、医療者含め、人間にはきっと、未来に起こる事なんて左右できない。なら、未来に何が起こるかなんて、“カミサマ”に下駄を預けてもいいんじゃないだろうか。
出来るのはきっと、“今”をどうにかしようとする事だけで。それでもどうにかなるかどうかさえ”カミサマの掌の上”でしかなくて。でも未来は現在の積分なのだから。その定積分が多かろうと少なかろうと、生きるのは“今”しかないんだから。
「……バゼット、世界は続いている。
瀕死寸前であろうが断末魔にのたうちまわろうが、今もこうして生きている。
それを―――希望がないと、おまえは笑うのか」
数え切れない後悔の中
男はいつもいつも変わらぬ結果に絶望した。
だがそうなれることを望むことを起源とする男は
絶望を抱いてもなお理想のみを希望として存在していかなければならない。
それは人間が背負いきれるものではなく。
ゆえに男は英霊として在る。
だからせめて。この子達がその死から学ぶものは
自己犠牲をも含むがむしゃらな救済などではなく。
生への祝福であってほしい。
明日生きていけることを、命があることを喜んでほしい。
大切な人と歩んでいける未来を望んでほしい。
そして見知らぬ哀れな骸に
涙を流せる優しい子でいてほしい。
そう望むのだ。皇帝龍「STparusu DIGITAL HOME」 “理想の対価”より