実はこの能力、“因果律が捩れている”。
物事というのは、まぁ総じて放っておけば悪い方向に転がっていく。どう転んだところで宇宙が冷めていくことは止められない。“理に適った展開”だけを積み上げて構築された世界は、どうあってもエントロピーの支配から逃れられないのである。
故に、物語にハッピーエンドをもたらすという行為は、条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力を要求されるのだ。そこまでして人間賛歌を謳い上げる高潔な魂があってこそ、はじめて物語を救済できる。ハッピーエンドへの誘導は、それほどの力業と体力勝負を作者に要求するのである。
まぁ、幸福なんざ自然発生するものでは到底ないから“生暖かく見守る”だけでは“幸せを生暖かく見守る”ことは不可能である。“生暖かく見守”りたければ、それこそ「条理をねじ曲げ、黒を白と言い張って、宇宙の法則に逆行する途方もない力」を発動させねばならない。ただし、その規模の力の発動には、それ相応の代価が必要になる。
だから、その力の発動の結果誰かの幸福の錬成に成功した頃には、力の行使者は“草葉の陰”かも知れないってことさ。