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“偽の善”

久し振りに「思考」のタグを使うことになったな。

あまり深く物事を考えない? 違うだろう

緑豆の愚行など、このエントリで取り上げるに値しない。気になったのは、上記エントリで引用されている「【産経抄】5月19日」の中の一節。

いわゆる「良心作」と銘打たれた映画が、おしなべてつまらないのはなぜか。人間は、「いいことをしようとするときは、自分が非難されたり攻撃されたりする恐れがないわけだから、あまり深く物事を考えないのではないだろうか」。

 ▼映画通の作家、長部日出雄さんはいう(『紙ヒコーキ通信』)。むしろ悪事を働こうとするときこそ、「バレると大変だから、いろいろ手口について考えをめぐらす」。

「いいことをしようとするときは、自分が非難されたり攻撃されたりする恐れがないわけだから、あまり深く物事を考えないのではないだろうか」
どうにも、俺はコレに同意できない。まず、「自分が非難されたり攻撃されたりする恐れがない」訳がない。

  1. 自分がいいことをしているつもりでも、実際はちっとも相手の利得を増やしていない場合があること。
  2. 行動に複数の選択枝がある場合(しかもそれぞれにrisk&benefitが存在する)、そのうち一つを選択してもriskが前面に出てしまい、他の“benefit”が高かったであろう他の選択枝の可能性を潰してしまう場合があること。
  3. 仮令首尾よく上手くいったとしても、周囲から嫉妬混じりの罵声を浴びる場合があること。
  4. 「みんなを幸せにする」コトは現実には不可能な“最終魔法”*1

…反例はコレで十分かね?

善行は苦行

だから、本当に善行いいこと—行為の対象者の利得を増大させたければ

  1. 想定しうるあらゆる選択枝・可能性を検証し
  2. 他の可能性を閉ざす覚悟を以って選択し
  3. 最大出力を以って実行し
  4. 行為の対象者の利得を実際に増大させているか常時検証し
  5. 外乱要因を防御する攻性防壁を立て
  6. それでもなお救いきれない非力を嘆きながら、なお決して届かない星に手を伸ばすが如く、足掻き続ける

ことが必要なのだ。善行とは、正に苦行に他ならない。

“偽りの”善

それ故に、「あまり深く物事を考えない」で行う「いいこと」など、偽りに過ぎない。故に“偽善”と呼ばれるのである。
思考無き善行に真実無し。誰かを救いたいなら、自らの血を流すことすら厭わぬ覚悟を。

*1:魔法とは、即ち「人間にはまだ不可能なこと」に他ならない。最終魔法とは、他のあらゆる魔法が魔法でなくなった後、最後に魔法でなくなる「 」。

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