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ジハード

いささか、脈略のない話。

よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。

立川談志 立川談春 著「赤めだか」より

赤めだか

赤めだか

時代は変わった。我々の仕事は感謝されなくなった。救おうとすればするほど費用は嵩み経営陣から文句を言われ、救えなかったヒトから取り残されたヒトタチから浴びるのは時に罵声である。数多の理不尽を覚えることも少なくない。
だが、その時代の変化を理由に「自分の仕事に誇りを持って働けない」とのたまうのには、賛同しかねる。…辛辣な言い方が許されるなら、「そんな安っぽい“誇り”など、狗に喰わせろ」と。

胸を張れ。我らは誇り。誇りこそ我ら。
どの法を守るも我が決め、誰の許しも乞わぬ。
私の主は私のみ。文句があるなら、戦おう。
それが私の生き方だ。

高機動幻想ガンパレード・マーチ

高機動幻想ガンパレード・マーチ

高機動幻想ガンパレード・マーチ

別に感謝など要らぬと言っている訳ではないし、そう嘯く気もない。感謝されれば嬉しいし、それを代価とするに文句はない。ただ、“誇り”とは別だ。感謝も罵倒も、結局他者から与えられるものとしては同じであり、それは“行為の結果”に過ぎない。そんなあやふやなものに、“誇り”は左右されるべきものではない。
“誇り”とは、「自己の信念に対する絶対帰依」である。そして俺の信念は“たまたま”「誰かの効用を増大させる方向に行動する」という根幹概念に“なってしまった”以上、その信念に殉じるのみである。その信念に準じて行為し、その結果をフィードバックしてその信念に適合するか評価し、錬成する。この繰り返しを継続するだけのことである。絶対帰依とはそういうことだ。なお“たまたま”・“(そう)なってしまった”という表現をしたのは、なんでそうなってしまったか、原因をよく覚えていないからである。過去には何か副次的な目的があったかもしれないが、そんなものは忘れてしまったし、そんなものは今になってはどうでもいい。だから“たまたま”・“(そう)なってしまった”としか言いようがない。それこそ、“たまたま”・“(そう)なってしまった”のは何故かなどという問いには、神のみぞ知るインシャ・アッラーと答えておくのが、無難な気がする。
もし、時代が変わったというなら、その時代に殉じるのも悪くはないと思っている。何もジハードとは爆弾を体に巻いて木っ端微塵になることだけではないと、思うんだが。

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