上記エントリのブクマコメで「“軍隊にして軍隊にあらず”という曖昧な立場を利用した最適解ということで。」と述べさせてもらったが、以下はその補完的論述。という訳で上記エントリをご一読頂いた上での論述であることをご承知置きの程を。おk?
前提: 「戦争」は外交行為の最終手段である=軍隊があることが戦争の引き金になっている訳ではない
…まずもってこんな前提から話をしなければならないあたりがバカバカしく、しかも以下の論述は、実の所、井沢元彦氏の“焼き回し”に過ぎないあたり、かなりやってられないが、仕方がない。読者諸賢は、私の拙文に時間を費やすよりは、氏の著作を読まれることをお勧めする。
- 作者: 井沢元彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 1998/04/01
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 6回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
さて、“外交”の一手段である以上、外交する“相手”がいる限り、自国が軍隊を所有する如何に関わらず、戦争は“生じうる”可能性を有しているものなのである。手っ取り早い話、こちらが軍隊を所有しなくても、あちらが軍隊を所有し、問答無用で攻め込んでくれば、それは「戦争」と呼ばれるモノなのである。まぁ尤も、こちらが軍隊を持っていないのであれば、戦争というより「一方的な略奪」と表現するのが正確な気もするが。
故に、戦争をしない方法はただ一つ。この地球上から消え去ることだけである。この地球上に存在している限り、異質な他者との接触は不可避であり、異質である以上、未来永劫に有効的な関係を築くことは、少なくとも今の人類には不可能なのだから。鎖国? そんなもの、“現実からそっぽを向いている”だけだ。
「こっちはあっちと違う」
この世の闘争の全てはそれが全てだ
人間がこの世に生れてからな
- 作者: 平野耕太
- 出版社/メーカー: 少年画報社
- 発売日: 2009/03/27
- メディア: コミック
- 購入: 13人 クリック: 134回
- この商品を含むブログ (226件) を見る
だから、日本が軍隊を所有する如何に関わらず、「戦争」は生じうる。なにせ“相手あっての外交”なのだから。幾らこちらが憲法で軍隊の所有を禁じても、あちらが所有して攻め込んでくれば、それは戦争なのだ。なにせ、こちらの「平和憲法」とやらも、あちらはそれを順守しなければならない理由はどこにもないのだから。本邦で憲法第九条の大切さを解き回っている連中は、何故、現に紛うことなき軍備を所有する他国に対して、「世界平和のために軍隊の所有を止めましょう」と説きに行かないのか? …まぁ、連中に対してそんな疑問を抱くだけ無駄だろう。
「現実主義者は、それが個人であっても国家であっても、なぜ常に憎まれてきたのだろう」
(中略)
「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動することによって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからなのです。
理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くはないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも予想した効果を生まなかったことを感じないほど愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです」塩野七生 「海の都の物語 1」
海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/05/28
- メディア: 文庫
- 購入: 8人 クリック: 35回
- この商品を含むブログ (49件) を見る
“軍隊にして軍隊にあらざる組織”が出来ること
さて、他国と外交を継続する以上、国土と国民の防衛のためには不可欠な(まずこの明らかな事象にたいして食って掛かる連中がいる事態、日本の平和ボケの病巣は根深いのであるが)組織として「自衛隊」がある訳だが、その件の病巣が故に、「交戦行為は禁止する」という軍隊としての機能を十全するのに必要不可欠な要素をすっぱ抜かれたのが、現在の「自衛隊」である。ブクマコメで“軍隊にして軍隊にあらず”と表現したのはこういう理由である…って、いまさら解説する必要もないか。
多分、そのあたりの矛盾は誰よりも自衛隊隊員がよーく分かっているんだろう。だから、“軍隊にして軍隊にあらず”故に、軍事における合理性を放棄したのが、サマーワでの自衛隊の解だったのである。
この自衛隊のやり方を多国籍軍側はまるで理解できなかったようだ。
「日の丸はまるで射撃の的のようなデザイン。これでは『撃ってくれ』といわんばかり。早くやめろ。お前らはどうかしている」
ことあるごとに強く忠告してきた。彼らの言い分はある意味で正しい。自衛隊のやり方は、軍事常識から明らかに逸脱していたからだ。だが、そこを敢えて踏み越えた。
- 作者: 産経新聞イラク取材班
- 出版社/メーカー: 産経新聞ニュースサービス
- 発売日: 2004/11/01
- メディア: 単行本
- クリック: 15回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
わざわざ目立つ迷彩服を着、狙撃の標的になりそうな日の丸を明示した自衛隊は、他国の“正規の”軍隊からすれば「お前らは軍隊じゃない」。だがそれは、イラク国民にも言えることなのである。「あなた方は軍隊ではないのだな」
そう、自衛こそすれ、「軍隊としての機能は持てないし、するつもりもない」という意思表示こそ、目立つ迷彩服と日の丸の示す意図なのだ。なにせ、本国のまったくもって不合理な縛りでどうせ軍隊としての機能は発動できないのだから、そうする必要もないし、そうしない。だからこその“最適解”だと、私は表現したのである。
日本に出来て、他の国に出来ないことをやる
さて、こういうことをいうとまず出てくるのが「それはサマーワだから可能だっただけだ」「他の国の軍隊に守ってもらってるだけだ」という反論。…実は、反論にもなっていないのだけど。
サマーワだから上記の論理が通用した、というのは、本当にその通りなのだ。では、サマーワでは何故上手くいったのか? そのあたりの考証はあるのだろうか? 考証するまでもない。自衛隊が実施したことは、曲がりなりにも戦闘行為がひと段落ついたところだったからだ。
さっきまでドンパチやっていたのがひとまず終息した時、人間が一番欲するのは何か。生活の立て直しである。それは生命の保証だけでなく、財産・資源の保証や、インフラの整備も含めてのことである。さて、その生活を立て直すにあたり、それを手伝うと申し出たのが、さっきまでドンパチやっていた張本人と、「軍隊としての機能は持てないし、するつもりもない」とご丁寧に文字通り“体を張って”意思表示している人のどちらを信用するか、想像に難くないと思うのだが。
「他の国の軍隊に守ってもらってるだけだ」というのも、反論にならない。そもそも“交戦権”を剥奪している張本人は日本国民なのだ。守ってもらう他ないじゃないか。“交戦権”を奪っておいて、「他人に守られているとは何事か」と変な武士道精神を振りかざさないで欲しいものである。まして“交戦権”なしで戦闘地域に送りこもうというのなら、それこそ「死んでこい」と言っているようなものだ。正に狂気の沙汰である。「他の国の軍隊に守ってもらってるだけだ」というのなら、自衛隊に“交戦権”を許可して「自衛軍」として軍隊としての機能を十全させることの方が先決なのである。「他の国の軍隊に守ってもらってるだけだ」という輩に限って、軍備反対者であったりするのは、もはや笑止千万なのだが。
…ただ、本音の言わせてもらえば。例え“交戦権”を保持したとしても、自衛隊には現行の方針を継続していて欲しいのだ。戦闘行為など、他の国に任せておけばよい(どうせ連中の方が手連だ)。寧ろ日本人は日本人にしか出来ないことをやった方が、よっぽど世界に対する貢献になると思うのだが。それこそ、戦争は得意だが、その後始末があんまり得意じゃない連中が多いのだから。
衝撃を受けたオランダ、アメリカ、イギリスの三軍から「いったい自衛隊は何を工作したのだ」と矢継ぎ早に問い合わせがあった。
- 作者: 産経新聞イラク取材班
- 出版社/メーカー: 産経新聞ニュースサービス
- 発売日: 2004/11/01
- メディア: 単行本
- クリック: 15回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
それに、他国に戦ってもらうのは、必ずしも“恥”ではあるまい。寧ろ、それを家訓にしていたヨーロッパの名家をご存じないか?
戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ
ハプスブルク家 家訓
日本は倭国=“和”国
和を以て貴しと為す
結局、日本人の根幹概念はここなのだ。「和」という概念が、危機管理を甘くし「軍隊など不要」という平和ボケの病魔を生んだかと思えば、「軍隊ではないなら、ないなりにすべきことがある」と、他国が「何の工作をしたのだ」と不思議がる成果を生んだりする。誠に皮肉なものである。
ならば。自国民の特性—諸外国と何が異質なのか—を自国民が理解し、その異質性を最大限利用するのが目下の至上命題であろう。なにも戦争好きな連中とつるむことはない。日本人は日本人にしかできないことをやる、それで良いのではないか?
勿論、必要不可欠な危機管理システムを備えた上で、の話だが。