…随分奇怪なルートになってしまった本日の行程。明日は重要所定があるため、気ままな一人旅も本日で事実上終了。旅行記は後日。
JR富士宮駅→JR掛川駅→掛川城
…もとはと言えば、事実上の最終日である今日はあまり予定を入れず、牧之原の茶畑と、最終目的地である静岡の駿府城だけの予定だけだったのだが、いざ当日になってみるとそれも何だか惜しい気がして、さてどこぞへ行こうか悩んだ挙句、「るるぶ情報版」の一ページである掛川城の広告ページが飛び込んできた。これだ! と決めたら早速携帯でGoogle Transitで掛川までのルートを検索し、いざ出発!
実際には、静岡で新幹線に乗り換えた方が良かったのだが…その時にはなぜかケチってしまったのだった。むーむ。
JR掛川駅からまっすぐ北上して歩くこと10分弱で、掛川城に到着。
掛川城 城郭御殿 I
天守閣入口から二の丸にある御殿を望む。実は天守閣は平成7年に復元されたものだが、こちらの御殿は正真正銘、江戸時代から現存する建造物だ。そもそも、復元じゃない天守閣は姫路城ぐらいだが、城郭御殿も現存するのはこの掛川城御殿を含め、日本に4箇所程度しか残っていないのだとか。
掛川城天守閣 石落とし
復元とはいえ、軍事施設である天守閣の特色をちゃんと復元してある。これは「石落とし」。天守閣から張り出した部分の床板が取り外せるようになっており、張り出しの下にいる敵兵に石などを落として攻撃するためのもの。
掛川城天守閣 狭間
こちらは「狭間」。「石落とし」が張り出しの下方の攻撃口なら、こちらは側方の窓で、ここから鉄砲や弓矢で攻撃するためのものだ。天守閣のあちこちで見かけることができる。
攻め込まれにくいよう、上層に昇るにも大層急な階段を上ることになる。何はともあれ、天守閣最上層に到着。
掛川城 霧吹き井戸
天守閣入口付近にある「霧吹き井戸」。最初に掛川城を築城した今川氏(実際に築城したのは家臣の朝比奈氏)の当主、今川氏真が徳川家康と敵対した際、攻め込んできた徳川軍に対し、この井戸から霧が噴出して城郭全体を包み、城を守ったとの伝説から、こんな名前が付いている。まぁ事実、井戸から何かモクモクしていれば威嚇くらいにはなったろうから、あながち伝説と片付けていいものでもない気がする。
掛川城天守閣 III
御殿へ向かう下り坂から撮影。天守閣は復元だが、石垣は当時のままだ。
さて、御殿へたどり着いたが、実は時代劇の撮影中なのだとか。いまは撮影の真っ最中で、入館制限がかかっているとのことで、その向かいにある茶室に入る。入館¥500で、お茶と茶菓子を出してくれる。広間に通され、赤じゅうたんの上に正座。静岡茶を立ててくれた。思ったほど渋くなく、お茶受けとともに堪能する。美味い。
掛川城二の丸茶室 広間からの庭園風景
掛川城二の丸茶室 日本庭園の桔梗
桔梗の花が美しい。ちなみに桔梗は、有名な山内一豊が高知に移封(土佐藩山内氏)した後、最終的に掛川城主となった太田氏の家紋になっている。
さて、ロケも一旦昼休みに入ったようだ。では、改めて御殿の中へ。
掛川城御殿 次の間・御書院上の間
玄関から入り、縁側に沿って進むとある次の間・御書院上の間。天守閣が軍事施設なら、御殿はさしずめ平時の行政府兼知事公邸。玄関すぐの御談の間・三の間が一般面談室なら、二の間はさしずめ応接室。奥の書院造の部屋が、知事室に相当する御書院上の間だ。
掛川城御殿 次の間・三の間・御談の間
二の間から玄関方向を向いて撮影。襖向こうが三の間、人影が見えるあたりが御談の間。左方にある写真はこれまでここで行われたロケの風景だ。
掛川城御殿 御書院上の間
掛川城御殿 小書院の掛け軸
掛川城御殿 長囲炉裏の間
縁側に沿って進み、一番奥にある間。知事室相当の御書院上の間の奥が知事公邸に相当し、ここは城主の居間に相当する。窓の向こうの棟が、家臣の詰所になる。