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映画「BALLAD 〜名もなき恋のうた〜」鑑賞記

映画「BALLAD 〜名もなき恋のうた〜」見て来た。劇場版クレヨンしんちゃんの最高傑作が実写化と言われれば、見に行かない訳にはいくまいよ。
ネタばれな話は後にして、まずはこれから見ようか考え中の方向けの話を。
正直な感想として、一部の原作原理主義者が言うほど悪くはないし、代価を払って見るに足る出来だと思う。但し、リメイクが素晴らしいのではなく、あくまでも原作が素晴らしいから、映画も相応の出来になっている、という注釈付きだが。
さて、以下はネタばれな話。

批評

まずは、失点から。

野原ひろしの名言がない

原作では、失踪してしまった野原しんのすけが戦国時代にタイムスリップした事が判明し、「俺たちも行くぞ」という父ひろしに対し、躊躇する母みさえに一喝する名言がある。

しんのすけのいない世界に未練なんかあるか!?」

原作 臼井儀人/監督・脚本 原恵一クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」

この一言こそ、家族ドラマとしての劇場版クレヨンしんちゃんを象徴する重要なエピソードなのに、この台詞がスッパリ抜け落ちている。そもそも、ひろしに相当する父親 川上暁は、随分と情けない(序盤は完全に妻に主導権を握られている)父親の設定なのだが、この設定は止めておいた方が良かった。

「金打」のエピソードがない

金打きんちょう」と読む。辞書によると「江戸時代、約束をたがえぬという誓いに、武士ならば刀の刃や鍔(つば)、僧侶ならば鉦(かね)、女子ならば鏡など、金属同士を互いに打ち合わせてその証としたこと。」
原作では、「男と男のお約束」として(その内容は又兵衛が廉姫のことを慕っていることを公言しないこと)又兵衛としんのすけが金打を行うシーンがある。互いを信頼する者同士の証、約束を守ることの重要さの象徴で、後でしんのすけが又兵衛の脇差を欲しがるシーンや、最終場面でしんのすけが、また少しだけ男として成長する話に繋がるのだが…これもまた原作から外してはいけないものを外したということで大失点。

「青空侍」の設定もエピソードもない

wikipediaの記事によると、「原が当初プロットにつけていたタイトルは『青空侍』であった。茂木仁史プロデューサーは「普段はタイトルなんて適当なのに、本作では非常にこだわっていた」と語っている。しかし、興行的に弱いという理由でこのタイトルは不採用となった。原はこのタイトルにかなり想い入れがあったらしく、文化庁メディア芸術祭アニメ部門大賞による賞金で作られた関係者配布用DVDのパッケージにこのタイトルを入れている。」
戦場では“鬼の井尻”と畏怖されるほどの実力者でありながら、青空を眺めるのが好きといった、いかにも人間臭い設定があるからこそ、又兵衛が魅力的な人物に映る(恐らく、この人間臭さこそ、血みどろの戦場で戦う武士でありながら、廉姫や城主、家臣や領民の安寧を願っている人物であり、だからこそそれを守るために戦うのだ、という人間性の暗示であろう)。しかし映画では「青空侍」の呼称もないし、空を眺めるのが好きという設定も見られない。原監督が最も熱意を入れていた件をスポイルしてしまっては、リメイクを称するには値しまい。これもまた大失点。

しんのすけが敵の大将にきる啖呵のシーンが微妙

ここも、原作のクライマックスで重要なシーン。

「お前、逃げるのか!?」
「……何だとぉ」
「お前偉いんだろ!? だからこんなことになったんだぞ! なのに逃げるのか!」
「黙れぇ!! 黙らんと、子供と言えど許さぬぞ!!」
「全部お前のせいでこうなったんだぞ! 逃げるなんて許さないぞ!」

原作 臼井儀人/監督・脚本 原恵一クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」

「お前偉いんだろ!?」というのがミソ。古今東西数多くいる(現代も、というか現代こそ!)“無責任な為政者”が、よりにもよって5歳の幼稚園児に論破されるという究極の皮肉であり、しんのすけが男前になったと思わせる原作での見せ場だ。しんのすけが立ちはだかり、(ひろしとみさえの援護があったといえ)しんのすけが敵の対象を“討ち取った”からこそ、子供らしい優しさからくる助命嘆願が通るのだが…映画ではこの啖呵がなく、助命嘆願だけが通るから、優しさが返って陳腐になってしまった感が否めない。実際、その後のシーンで原作の「今回の戦の手柄はお前(しんのすけ)だ」という台詞が、映画では「お前たち家族の手柄」に変わっている。まぁ確かに、劣勢になった春日軍に、川上一家がジープで突っ込んだからこそ戦況逆転になったのは事実だが、映画で実際に敵の総大将を討ち取ったのは又兵衛本人だから、先ほどの台詞はやっぱり違和感がある。
ただ、ここは少々情状酌量の余地がない訳ではない。幾らバカ殿設定とはいえ、仮にも戦国大名になった武将が、一般人(しかもそのうち一人が幼稚園児…映画では小学生)に勝ったというのは、クレヨンしんちゃんだから許されるギャグとノリであり、それを実写でやるには無理があっただろう。だからこそ又兵衛と総大将本人が闘うように変更されている。ただ、そのように変更するなら、助命嘆願の方も変更するなりの工夫が必要だったのでないか。このあたりが実写化・リメイクの難しいところであり、逆に観客に「おー」と感心させるチャンスになるところであろう。それが出来ない限り、「劣化コピー」「原作レイプ」の誹謗中傷は免れ得まい。残念でした。

以上が、批評。以下が、評価。

評価

クレヨンしんちゃんなら許されるギャグやノリで済ましている部分をしっかり補完している

実は、上記の啖呵の部分は失敗しているのに、他の部分は意外と苦心していることが分かる。
例えば、しんのすけ(映画では川上真一少年)がタイムスリップした直後のシーン。原作ではしんのすけが「未来から来た」と言うのを又兵衛も城主も案外素直に受け入れているが…真っ当に考えるなら、映画の通り“怪しい奴”として縄で縛られたあと、御前に引き出されるだろう。そして「未来から来たと」いう言葉など信じまい。では、その証拠を見せろと言われて少年が出したのがカメラ携帯だったのには、納得しつつも吹いた。まぁ、コレ出されりゃ、信用するしかないわな。
他に、曲芸師であると誤魔化したものの「では芸をやってみせろ」と言われた際、自転車(二輪車のマウンテンバイク)を乗り回してみせて難を逃れるのも、映画ならでは。幼稚園児であるしんのすけは、自転車には乗れないから。

「この時代に俺たちが生きた証」

突撃を仕掛ける又兵衛達に対して、闘うことのできない暁が考えた(妻の入れ知恵もあるが)のが、写真家である暁がポラロイド写真で又兵衛達の記念写真を撮ること。最初は又兵衛達だけだったのが、他の兵士たちも「俺も、俺も」と言い出して、結局みんなの写真を撮ることになったのだが。初めての(当り前)撮影やストロボにおっかなびっくりしながらも、だんだん慣れてきたのか、お互いに野次を飛ばしながらやんややんやと被写体になる兵士達のユーモラスさは、戦の緊張感を和らげるにはもってこいだった。
それに、識字率が低かった当時のこと、自分が生きていた証なぞ下級武士や平民にはできなかった(だからこそ、文章を起草できる上流階級の視点から歴史が語られるのが専ら)時代に、写真というオーバーテクノロジーで、その証を残してやるというのは、なかなかのアイデアだと思う。これは、会社員であるひろしから、写真家である暁に設定を変更したからこそ出来た演出だろう。ここは、十分評価できる。

当時のオーバーテクノロジーにノリノリな皆さん

携帯カメラや写真、ライター、ビールにカレーライスと、当時には当然無かったものに対し、城主から家臣、庶民に至るまで、意外とノリノリで撮影されたり、その味に舌鼓を打ったりと、そういう細かな面もシーンに加えているのが面白い。
え? 実際にはそんな上手くは行かないって? そうでもないかも知れない。実は、ペリー来航で急遽開港が決まった箱館(現 函館)でも、史実として似たようなことが起きていた。各国の異人が街に入ってくるようになり、同時の住民は最初こそ警戒していたが、その内に言葉もろくすっぽ通じない割にお互いに挨拶してみたり、お互いの物品を交換してみたり(お互いにお互いの物品が珍しかった)、終いにはお祭りの神輿を日本人も外国人も一緒に担いでみたりしていたことが絵巻物や文章に記されているのだ。…箱館戦争が起きるまでは。

又兵衛と廉姫の距離

映画でよくぞカットしなかった、と言いたくなるシーンがある。タイムスリップしてきたひろしとみさえ(映画では暁と美佐子)が、車で春日城へ向かう際、廉姫は車に乗り、又兵衛は馬で後を追いかけるのだが、車が加速して走り出すと、必死で馬を駆けさせるが又兵衛と廉姫の間がどんどん広がっていく。この距離こそ、従者である又兵衛と、主君の娘である廉姫が、なかなか越えられない(それゆえに恋物語カタルシスとなるのだが)距離の象徴として重要なシーンなのだが、このシーンはしっかり入っていて良かった。
まぁ、タイトルに「恋のうた」と銘打っておいて、このシーンを省略しようものなら、映画は落第モノだが。

又兵衛と廉姫の距離 II

今度は逆。敵の総大将を討ち取って帰還する又兵衛達と廉姫の距離。映画では廉姫は城門櫓から手を振るだけだが、映画では、城門を出て又兵衛の所へ駆けつけるように変更されている。そして…。
こちらは、原作より距離が短くなっている分、最後の悲劇の度合いが増している。難い(憎い)演出である。

総評

という訳で、上記を総合的に考慮して、映画の評価は及第点には達しているが合格とはいかない程度とする。
後は、皆さん各自の感想を持たれたし。

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