まず、思考の根源に増原良彦 著『日本の名句・名言』がある。これのパクリと言われてしまっては、その通りとしか言えないのかもしれないが。
- 作者: 増原良彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1988/11
- メディア: 新書
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Good-bye ある人はさよならと訳しました。ある人はまたねと…。私なら…‥だめだ!オチを考えてしまうorz
さて、何のオチを考えたのかは詮索しないでおこう(笑)。確かに“Good-bye.”は「さようなら」だが、原義は“God be with ye. 「神が汝(ye)とともにおられますように」”なので、どちらかというと、アラビア語の 「イン・シャ・アッラー」ان شاء اللهに近い。一神教における以後の道中の安寧を願う祝詞に近い。日本語ならさしずめ「むまのはなむけ」*1だろうか。「またね」に相当する英語挨拶なら“See you, again.”がある。
そういう視点で言えば、諸外国の別れの挨拶には、兎角再会を願うものが多い気もする。
挨拶 | 言語 | 原義 |
---|---|---|
Arrivederci. | イタリア語 | a+rivedere+ci という3つの単語がくっついてできたもので「また我々が再び会うときまで」という意味。JoJo好きには公用語か?www |
Auf Wiedersehen. | ドイツ語 | 更なる(Auf)再会を(Wiedersehen)。尤も、格調高い響きなので最近の親しい間柄では“Tschüs!”で済ますらしいが。 |
再见 | 中国語 | 簡体字でなければ「再見」文字通り |
Güle Güle | トルコ語 | 今回一番笑った原義。「笑って笑って」!!. ちなみに件の「むまのはなむけ」に相当するのはHosca Kalm. 「インシャ・アッラー」に相当するのは Allahaismarladik. 一番別れの挨拶の種類が豊富だったような |
一方、前述の増原良彦 著『日本の名句・名言』では日本語の別れの言葉には「一期一会」の精神が染み着いてどうも肩っ苦しい、としていたが、俺は全面には賛同しかねる。
確かに「一期一会」は格式ばった概念ではあるが、古代ローマの“Memento mori.”ではないが、お互い明日をも知れぬ人生の中で、見えた“縁”を大切にしたい。その時間が終わってしまう哀愁を込めて「さよなら」と言うなら、それはそれで美しいとは思うのだが、それは日本人的な発想だろうか。
それに、諸外国の挨拶を見て思うのは(歴史学的・社会学的な論理根拠はないが、という意味でだが)、どうも地政学的・民俗学的要因が大きいと思う。要は、狭い国土の日本国内なら、再会する事はそんなにまれではないから、敢えて禅や茶の湯の世界ではそれを戒めて「一期一会」なるスローガンを確立したのではないか。その逆に人事物流の規模が大きい大陸では再会そのものが稀なので、その希有な機会を願って「再会」を願う言葉が挨拶になったのではないか。また“文明の交差路”と称された小アジアでは、確かに再会は稀だが次から次へと新しい出会いがあるような地域では、別れの挨拶の語彙が豊富なのではないか。
まぁ、秋の宵にそんなことを考えていた訳だ。しばじゅんのみならず、貴方の「別れの挨拶」はどの様なものだろうか?