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可能性の海

久方ぶりの「思考」タグ。あんまり思考してないけど(藁)

氏のエントリは何時だって一読に値する。ここで述べるはエントリの内容に非ず。このエントリについたコメントを引用。

放射線被爆のリスクは統計的な問題なのに、政府の発表に対してマスコミが「危険が有るのか無いのかはっきりしろ」と二元論化をするから事態が悪化しているのに感じます。用語や単位のまともな説明をしているのが池上さんの特番くらいしかないことも事態に拍車をかけているような。

かと言って、PINKYCH氏のコメントに何か申し上げる訳でもないのだ。もうそろそろ「お前は何が言いたいんだ」と言われそうだが。
実はこのコメントを読んでとんでもないのを思い出したのだ。もう出典すらあやふやだが、多分水木しげる氏の何か(実写とアニメーションの混合したTV番組だったのは覚えてる)、とまぁ随分な話なのだが。人間の少年に妖怪の爺様が、"ある語"を書いた紙を見せて語るのだ。
「妖怪の世界には可能と不可能しかない。しかし人間には"可能性"というものがある」
そうなのだ。人間の未来は何だって“可能性でしか語れないのだ”。それが良かれ悪かれ。放射線障害も(急性障害は兎も角として)統計学的にしか語れない。悪性腫瘍の5年生存率も「その人が5年後に生きていられる確率」=未来測定ではなく、「同じ疾患の患者が発症5年後に何%生きていたか」という過去の事実でしかない。可能性でしか語れない未来を「否左稲佐=いなさ」="Yes or No"で語ろうとするから、事実を見誤るのだ。
いかなる事象もリスクという名の可能性が付き纏う。しかしそのリスクを踏み越えてこそ“不可能と思っていたことが可能になる”—それこそが「可能性」に他ならない—。それが如何なる意味であれ、可能性を理解できない人間には、私はなりたくないものだ。私は、私の人生の全ての可能性を受け入れる。それこそ涅槃nirvāṇaと言うものだ。

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