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“知者の盲目”

ずっと前から書いておきたいと思っていた事。なかなか時間的・精神的余裕が無く、書く暇もなかったが、これ以上遅延すると機会を永久に逸しそうなので、gdgdでも書きつけておこう。おk?

思考実験

さて、Aという正しい(正確な)事実(事象)があったとする。Aという事実(事象)はBという影響があるという事も正しいことが導かれたする。で、X氏が「Aは正しい(正確だ)」と述べたとしよう。さて、そのX氏が「Aは正しいのだから、その結果生じるBに対応する為に“私に従え”」と言われて、「はいそうですね」と従順に応えられるか?

至近な例

もっと単純に具体化しようか。貴方の高齢の親族が癌か脳梗塞心筋梗塞かになったとしよう。…この3疾患を挙げたのは、現代日本の死因TOP3だからである(まぁ、正確に言えば「悪性新生物、脳血管障害、冠動脈疾患」なのだが、あくまでも例なので細かい事は置いておこう)。で、その親族の主治医にいきなり面と向かって「もう高齢だから死んじゃっても仕方ないよねー」と言われたら、「はいそうですね」って言えますか?

2つの問題

上記の思考実験には、まず二つの問題を孕んでいる。まずはBへの対応策におけるリスク/ベネフィットが全く述べられていない。もっと言えば、大衆の多くが関心を持つであろう、Bへの対応策を行うに際する不利益と、Bへの対応策を“行わなかった”場合でも問題がない可能性、に関して一切触れられていないこと。そしてその問題があるのにも関わらず——いや、その問題の如何に関わらず「“私に従え”」と上から目線で言われて、はいそうですかと納得できるものか、という事である。
何を暗喩しているのか、明言はしない。というより“する必要が無い”。今のTPP問題、放射能汚染対策における議論の諸々から、研究室のアカハラに至るまでの共通概念であるからである。Aという事実が正しいとしても、それを盾にX氏が「“私に従え”」と言ってすんなり従う程、人間という生き物では単純ではないという事実に対しては、X氏は盲目であるであることが多い、というのが、ここ最近の持論である。さらに、なまじ“Aは正しい”という事実があるが故に、その対応策が受け入れられないとプッチンプリンしてぎゃーてーぎゃーてー喚くので、ますます手に負えなくなる。「“私に従え”」だけでも、そうそう受け入れられるものでもないのに、「私に従わないとは何と愚かな事よ」とまで言われて、ますます受容困難になることは容易に想像がつくだろうに、“Aは正しいという事実”に拘泥して、返って人間というものの性質が見えなくなっている。それ故、“Aは正しい”という事実すら受け入れられなくなっていく。それでもなお“受け入れられなくなっていく”事態の原因を、X氏は理解できないのである。

事実を見、人間を診なければ事実は伝わらない

結局、“Aが正しい”という事実と、”Aが正しいということを他人に受け入れさせる”事実は、完全ではないにせよある程度独立した事象である(これはすなわち、“Cという正しくない事実”であっても、他人にCを正しいと受け入れさせることが可能であるという事実の裏返しでもある)。事象Aが難解、かつ受け入れ難い事実であればあるほど、他人にそれを正しいと受け入れさせるには、なお一層の慎重性と技術が必要な筈なのだが、凡そX氏は「Aは正しいのだからその事実を受け入れるのは当然。またそれによって導かれるBという対策も受け入れるのが当然」という思考から距離を置けない——、人間という生き物では単純ではないという事実に対して盲目であることに他ならない——から、事実は受容されず、X氏はファビョーンするのである。

仮令事実であっても、他人にそれを受け入れさせるのは難しい

どうにも、この“X氏”というのは、自然科学とか、経済学とか、人間と直接接してどうこうする職種でない場合に多い気がする。尤も、自分の職種である医師だって、患者という人間を相手にするのではなく、疾患という事象だけを関心対象にするような態度をとると、人間という生き物では単純ではないという事実に対して盲目になることが多い。逆に、幾ら誠実に対応しても、死とか後遺症とか、仮令医学的に不可避である事実だったとしても、家族には受け入れがたい事実であり、面罵される、なんてことも幾多経験している。…だからこその結論なのである。、“仮令Aが正しくとも、そうであるという事実を、そしてその事実を他人が受け入れるかどうかは別問題である”という事実は、即ち“人間はそんなに単純でも合理的でもない”という、当り前の事実を認識しているかどうか、つまりは人間というモノを見ているかどうかに関わってくるのである。
X氏よ、ファビョーンしてぎゃーてーぎゃーてー騒いでいる暇があったら、少しは人間というモノを知ったらどうだい?

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