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FLIPLIP 『オモイオモイ』鑑賞記

twitterで文字通り呟いていた演劇はFLIPLIP 『オモイオモイ』でした。まぁ本音を言うと、誰かさんの“追っかけ”をやってなくもないのだが(大笑)。あ、もうこの言葉は死語か(藁)
で、なまじ「感想はblogで」なんて言っちゃうもんだから、感動冷めやらぬうちに今せっせと打電している、と言う訳。ストーリーに関しては述べないので、完全に対象限定のエントリになるけどねぇ…(触発された「思考」エントリはコチラ)。なお千秋楽は23日、まだ公演中なのでネタばれにはご注意を。では、どうぞ。

思わずぐむうと唸った

演劇の最初の内は、そのストーリーの中の設定や世界観把握まで時間がかかる。なので、最初のぬいぐるみのシーンは「? ? ?」なんだけど、後にそれが“お化け”(に扮して脅かしているだけ)にパニックになるシーンの再現だと分かって、最初の「?」が氷解したときの「あっ! あれはこれか!!」と分かった時の感覚といったら。そしてストーリーの全容が分かった終盤でそのシーンがリフレインされる。そして最初にはなかったシーンが続いて物語は結末を迎える。こんな構成は私は大好きだ。

怖いけど綺麗

上記のぬいぐるみのシーンの後に続くOP相当。幻想的な曲、それに合わせた出演者の人形的な(“人間的ではない”)動きの不気味さ、しかし薄暗がりの中、蒼い光の中の“人形達”の舞踏の蠱惑的な舞踏。不気味なのに綺麗とはこれ如何に。

役者すげぇ! その1

車椅子の上の、表情を亡くした女性(その理由は後に判明)。これもまた人形的な不気味さを呈している。後であんなに表情豊な演技をしているのに、その不気味さを覚えさせる、表情を凍らせる演技の凄さに舌を巻いた。役者ってすげぇ。(castは鈴木舞さん)

なっちゃんかわいいよなっちゃん

…とりあえず逝ってよし俺。

チンダル現象

スモークと懐中電灯であんな演出ができるとは。でも暗順応下での目への光照射は網膜に負担になるので気をつけて。

それは死亡フラグでござる

「終わったら話す」…フラグ立てちゃ駄目だよ(2008年9月15日「生きて帰れ」も参照の程)。

少々の笑いがスパイス

ちいちゃん、後ろ後ろ−!
しかしストーリーはここから暗転する。このカタストロフな展開の構成がニクい。

役者すげぇ! その2 —なっちゃんこわいよなっちゃん

誘拐されたのに失踪届も出されない孤独な少女。唯一の伴侶を奪った主人公達の一部が、記憶を抑圧し罪の意識から逃れて生活していることに覚える憎悪。鬼気迫る演出に臓腑の冷えを覚える。2005年11月2日のエントリから再掲。
美人が狂気に堕ちるのは、この世界で最も恐怖を覚える、忌避すべき光景だ。
元気印の普段の光景から全く想像出来なかった迫真の演技に、改めて舌を巻いた。

決断は可能性の海を漕ぐ櫂

…これはまた別エントリで。

ED

正直フイた。『四畳半神話大系』の「神様のいうとおり」かい!
D

忘却と抑圧

とりとめもない感想も、これで打ち止め。最後は少しだけ真面目な話を。…まぁこれも、別エントリにしてもよかったんだけど。
主人公達は「忘れる」と言っているが、アレは実は「抑圧」。忘却と抑圧は異なる。「忘却」は「まだ覚えてない(未記憶)」「思い出すのに失敗している(想起失敗)」「記憶メモリの破壊(脳挫傷等で記憶素子そのものが破壊される)」に大別されるが、所謂「忘れる」とは想起失敗の意味で用いられている。脳はちゃんと覚えている(記憶素子の構築は完了している)のに思い出せない。つまりは外部からの情報から記憶素子の再起動までの連絡に支障があり、思い出すのに時間がかかり過ぎているだけなのである。議論は尽きなところであるが、脳の容量は少なくとも一人の人間が一生涯かけて得る情報を記録できる程度はあるようで、ハードディスクやUSBフラッシュメモリの様に容量が足りないので消去・上書きするという必要性はないようである(勿論、そうなるように外界からの情報を必要以外をシャットアウトしている、という事にも起因するだろが)。
しかし「抑圧」は、ある目的のために想起を“意図的に”阻害している状態である。その目的とは“精神活動の安定化”に他ならない。いくら記憶容量(ハードディスク)が十分でも、脳の情報処理能力(CPU)には限界がある。処理能力を余計に浪費する記憶がそうそう想起されては困るのである。そのためのいわば安定化装置が「抑圧」である。「抑圧」の失敗は即ち「フラッシュバック」に他ならない。「抑圧」は立派な脳の機能なのだ。
主人公の「天川君」は、その責任感故に「抑圧」に失敗した。しかし“可能性の海”に対する決断にも欠いていたため、“亡霊”に示唆されるように“宙ぶらりん”な状態になってしまった。「カナ」は、いきなり抑圧の箍を外してしまったが為に“人形化”してしまった。脳の情報処理能力には限界がある以上、過大なる罪の意識に苛まれて猶立ちあがれる人間の数は少ない。だからこそ「抑圧」は人間に必須の機能なのである。ただし、「みこと」にはそれが我慢ならない(感情的には当たり前である)。それ故物語は紡がれる。
この「忘却」と「抑圧」に関しては『空の境界』や『魔界探偵脳噛ネウロ』でも言及があるのだが…またそれは別の機会に。

結語

…こんなんアンケート用紙に書いてたら何時間かかるやら(藁) 本エントリを以て感想に代えさせて頂きます。関係者の皆様、素晴らしい演劇を見せて頂いたこと、心より感謝いたします。

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