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Senatus consultum ultimum II

ますやま @

ほぅ、「下品」とな...!? と言う訳で怒りのエントリ。読みます?

工藤新一の言葉

自宅にTVがないのでtwitterのTLからの推定なのだが(苦笑)、どうも金曜ロードショーか何かで「ルパン三世vs名探偵コナン」を放映していたようである。折角なのでそれにかけて。
単行本がないので記憶に頼るのだが、第何話だったか全く憶えていないが、毛利蘭が工藤新一に訊ねた台詞があった筈である。「もし親しい人が犯人だと分かっても、きっぱりと『犯人はお前だ』と言うのか?」と。で、工藤新一は答える。「言うには言うが、多分その時にはボロボロになってるはずだ。『その人が犯人じゃない証拠を探し求めた挙句、その人以外には犯人でありえない』ことが分かってから言うんだから」と。

苦渋の最終勧告

このblogで再三述べた「医療の地平面」—それこそ「適切な医療を受けても回復の可能性がなく」なんてもんじゃない。現代医学が成しうる全てを以てしても救えない“境界”の向こう側—、主治医がそれを宣告するのが、どんなに苦渋に満ちたものであるか、想像できるだろうか。ありとあらゆる文献を調べ、症状の急変にはあらん限りの対応を尽くし、少しでも生存の可能性があるのならば、家族にその可能性と危険性を説明した上で試みるも、猶も救えない“極限”に立たされて、初めて喉の奥から絞り出される言葉が、「元老院最終勧告Senatus consultum ultimum」なのである。それは、いたずらに「心臓を動かし続けるだけ」のために無数の管が体に繋がり、本人の苦痛がさんざ長引いた結末を知る者の“畏れ”でもある。「そんな苦痛を長引かせるだけの事はしたくない」と吐露するのは、その“苦悶”と“畏れ”の果てにあるものであろうとは、その経験者以外は、なかなか想像に及ぶものではないかもしれない。しかし、それを「下品」と一括されてしまっては、憤りを覚えずにはいられないのである。

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