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知識への飢渇

久しぶりに長文駄文を。

事の始まり

tweetはtimelineの濁流に呑まれてしまったので可能なら掘り返すとして、だ。
テーマは「知識を得るには」である。

先人の知恵

それについては、実は約2500年前にもう答えは出されている。有名な、古代ギリシアの哲学者ソクラテスによって。とは言え"哲学"というと堅っ苦しいのでとっつきにくいだけだ。ソクラテスは(というか彼自身は著作を遺さなかったので、プラトンを始め弟子が書き記しているのだが)まぁ色々言っているが、今回必要なのは2つ。

  • 無知の知: 「デルフォイの神託」とかのエピソードは他の著書で読んでもらうにして。要は「自分は"それ"を知らないのだ」ということを自覚できるか、ということ。
  • 問答法: まぁ、古代ギリシアの哲学者…というか知識階級は「問答してなんぼ」の世界であるのでこういう名称は当然なのであるが、これだと分かりにくい。他称はいろいろあるが、さすがに自分は医者であるので「産婆術(μαιευτική)」がしっくりくる。出産を手助けする産婆のように、"それを知らない者が、「それを知らないのだ」と自覚させるよう導く"、あるいは"知ろうとする者が知ることができるよう導く"という事である。

知識獲得の4相

"それを知っているか否か"ということであれば「知っている」「知らない」の2つしかない。しかしそれはただの"状態"でしかない。人間というのは"生きている"動的存在なのだから、それを含むと以下の4つの相に分かれる。

  1. 知ろうとしない
  2. 知らない
  3. 知ろうとする
  4. 知っている

当たり前の話だが、最初は誰も"知らない"のである。でも"知ろうとする"が「分からない」ことだらけ。それでもあれやこれや手を尽くして"知ろうとし続ける"から、そのうちふっと視界が開けて「分かった」="知っている"状態になるのである。あれだ、急坂登って「ぐえー」って言ってる所に、山頂か平野についていきなり展望が開けるようなものだ。
問題は"知ろうとしない"だ。「自分はもう知っている」という"無知の知の破綻"、あるいは"知ろうとする"苦労にくじけて"知らない"状態より後退している。あるいはその両方、「自分はもう知っているのだから、"知ろうとする"苦労なんてしなくていいんだ」と自分に言い聞かせて耳を塞ぎ閉じこもっている、いわば知識の引き籠りである。
先の問答法、というか「産婆術」は"知ろうとしない"者に「知っているふりをするな。お前は知らないんだ」という上相への引き戻しと、"知ろうとする"者に「こうすればもうちょっと楽に"知ることができる"」という上相への引き上げの、動的手段なのだが…後者も相当なテクニックはいる(というか下手すると引き上げどころか蹴落としになりかねないし、意図的にそうする輩もいるが、人間なので仕方がない)ものの、後者の1→2の過程は「知識の"引き籠り"を外に出す」と言えば、どれほど苦労するか分かりやすいだろうか。なぜなら、苦労するより耳を塞いでいた方が、自分の世界に閉じこもっていた方が、楽なんだから。

ショートカットは、誰かが切り開いた道

"知ろうとしない"者が、"知っている"者に向かって喚く。
「お前らはずるい。ショートカット使って苦労しないで"知ろうとする"苦労をしなかったじゃないか。偉そうにすんな」。だからそのショートカットから手を伸ばしているのに。
「お前らはずるい。自分で見つけたショートカットでもないくせに」。知ってる。だからお前も来い。俺も通った道だ。
「お前らはずるい。俺たちを見下している」。だから来いよ、ここまで。ずるいって言うけど、ショートカットっていうけど、それでも"登ってきた"んだ。
それにだ。うっかりすると、誰かが"知らないことを知ろうと"して挑戦している。サボり過ぎるとつぎの事を"知らない"状態になる。少し休んだら、また登らなきゃ。

"腹が減る"

誰しもが安寧を求める。「もういいや」と思う。それでも、罵声か応援か知らないが、上から声が聞こえる。まだまだ知りたい思うのは、もう"飢え"に近いのだ。”知識に対する飢渇"、"知らない"ことが空腹と思うから、知ることを求め続ける。飢えを自覚しなくなったら、多分それは"死体"なんだ。アップデート権限の喪失、それが"死"だ。"眼を閉じ、耳を塞ぎ、そのくせ喚く"のは、その飢えを、"無知の知"を忘れた、死体からの怨嗟の声なんだ。

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