twitterで漢文がどーのこーのと話題になった火種はこれか。
漢文の授業ってまだあるの?
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) October 5, 2019
あれって本当意味がないと思うんだけど、なぜいまだにあるんだろう。普通に中国語で読める漢文を教えてほしかった。レ点とか一二点とか使って無理に日本語で訓読できるようにすることにどれだけ意味があるんだろう。受験や試験のための科目な印象。前時代的に感じる。
まぁ、本音を言っちゃえば、余程将来それを飯の種にしたいという酔狂でなければ、数学の三角関数や微分積分、高校レベルの化学や物理と同じ程度には、「受験のためのツール」ですよ。
というより、理系の俺が高校生の頃漢文スキーだったのは単純な理由。漢文の読み下し(漢文訓読)とは、「"当時の"(現代のではない)中国語の文章である漢文を日本語として解釈するためのシステム」だからである。つまり漢文も日本語も分かってないとそもそも成立しない、あれは"言語の相互補完システムの理解度のチェック"だと思っている。
だが、漢文の授業を面白くなくさせているのは、歴史の授業と理由は大差ないと思っている。延々と出来事と人物名と年号だけ覚えさせられるあの苦行で歴史を好きになるわけない。何の因果か、高校は理系クラスだったのに世界史の授業は文系クラスと合同で、ともかく黒板一杯に書きまくってから授業を始めるものだから、授業の半分は黒板の書き写しという、今から考えたら無駄極まりないことをやっていた。理系でセンター試験で世界史を取る気もない連中は居眠りの時間だったが、俺は馬鹿正直にノートをとっていた。真面目君を気取るという理由はなく、単に歴史が好きだったという理由だけなのだが(これが後に俺の人生を救うことになる)。この先生の面白いところは、いちいちノートを取らせたのは、要は"覚えろ"ということだった。"書かないと覚えない"、ま、そりゃ一理あるわな。で、この世界史の先生、「ここからは人の流れの話です!」と、五賢帝末のマルクス・アウレリウス・アントニヌスが後漢に使者を送った(大秦国王安敦金貨)だの、中国で発明された紙が西洋に伝わり(タラス河畔の戦い)西洋の文明の進展をもたらしただの、板書の"静"の歴史から、人の動きを解説する"動"の歴史を語る授業に、俺は魅了されたのだ。文系の連中には、「それが小論文の課題なんだから授業になるのは当たり前だ」と言われそうだが、それでも俺は、あの授業は寝るための時間ではなかった。…のちのセンター試験で、「倫理」の試験内容が突如変わり、"無勉強でも高得点"あてにしていた連中が阿鼻叫喚だったのに対し、「世界史」を受験していた俺はちゃっかり倫理の失点をほぼ無にするレベルで得点していたのは、また別の話。
…さて、漢文の話に戻そう。漢文に描かれている情景は、人間の動的部分なのであるが、その前後関係が分からないと、ただの"受験のツール"でしかなくなる。漢文とは、そういうものではない。
- 唐の時代の最高の詩人「李白」が「月キレイ、ヤバいくらいキレイ、皇帝との付き合いとか、やってらんねぇ」という詩『月下独酌』
- 「ああ、山キレイ、戦乱で国ボロボロ」嘆きまくる杜甫(「春望」国破れて山河あり)
ならねぇ、これら国語の教科書に載ってるんで例に挙げたが。
- まんじゅうこわい 明代の『笑府』
落語の「まんじゅうこわい」も中国の古典である。
- 「鴻門之会」
これはダメな例。教科書では劉邦と項羽が直接対峙する楚漢戦争のストーリーのクライマックスの一つなのに、物語の一部だけとりあげたって、一触即発の緊迫感も、樊噲や張良の活躍も、さっぱり分からない。
漢文は、その当時の人間の躍動をそのままに書き写したものを、その当時の人間が、どうやって理解したらよいか考えた"システム"だ。それでも「どれだけ意味があるんだろう。」というのか。