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胡蝶の夢

たまに考えるのだ。
今私は自分の部屋を見、モニタを見、画面を見て、そこの文字情報を理解し、そしてどこぞに書き込む。"意識がある"とはこういうことなのだろう。
そして私が死んでしまえば、電源の落ちたパソコンに何を入力しようと、一切の反応を示さないが如く、"処理能力を永遠に消失する"ことなのだろう、と思っている。
さて。であるならば。
蛾は、蝙蝠の捕食から逃れるため、蝙蝠のエコロケーションの超音波を察知すると羽ばたきを止め急落するという。そして、その反応を司るのは、たった2つの神経細胞だという。
では、この蛾に"意識はあるのか?" 我々の意識とやらも、所詮はこの神経細胞がやたら多いだけではないか。意識の在る・無しは神経細胞の多寡で決まるのか?
もっと極端なことを言う。
5億3000万年前のカンブリア紀。今やそれなりに有名になった「カンブリア爆発」…つまるところ、現生の動物のほぼすべてのボディプランがここで枝分かれしたことが分かって斯様に呼ばれるのだが。
ただ、既に「梯子状神経系」といった、現在の生物の神経系に繋がる、神経系の基幹が既に出来上がっていたことが、示されている。だからこそ、眼が5つもあるオパビニアが、その5つの眼から来る情報を処理できる程度の神経系を有していたのであろうし、1対の眼を持つ、当時最大級の大きさであったアノマロカリスの複眼を構成するレンズが1万以上と判明している(現生のトンボ並)ので、その膨大な量の複眼から来る情報を処理できる程度の、優れた神経系を有するに疑いはないのである。
閑話休題。話を元に戻す。とはいえ、もう長くはない。
オパビニア、アノマロカリス。5億年以上前に生きていた彼らは、"何を見ていたのだ?"。"彼らに意識はあったのか?"。"意識とはそもそも何か?"。
"死"を"意識の途絶"と定義するならば、私はこのような疑問を有さずにはいられないのである。

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