NHK大河ドラマ『麒麟が来る』最終回「本能寺の変」を見た。
大河ドラマで「本能寺の変」の殺陣を長丁場で見たのは初ではないだろうか。しかも今わの際に舞ったという「敦盛」のシーンを切って捨てたあたり、よくやったなとは思う。多分、要らないと判断したのだろう。志を共にした光秀と信長だが、時代の流れとともに何時しか心が離れていった、ということを示す"回想"に尺を回したのは英断だったと思う。新型コロナウイルス流行のため尺を短縮したとか言わない
で、だ。忠臣の明智光秀が謀反を起こしたのか、wikipediaには諸説記載されているが、何が面白いって
しかし考証的見地からの研究で判明したことは、結局、どの説にも十分な根拠がないということであり、それがどの説も未だに定説に至らない理由となっている。当たり前だろう。忠臣が謀反を起こすんだぞ? 単一の理由で謀反の理由を説明することの方がおかしい。
ぶっちゃけ話をすれば、雇い入れた新人が「こんなのやってられねぇ!」って出ていくなら、誰も不思議には思わんのである。
忠臣であればあるほど、例えは悪いが「エネme」になる。
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「主君に叱られるのは自分が至らぬせいだ」「自分が手柄を立てれば主君は変わってくれるはずだ」といったところか。最初は自分が反感を申し立てれば怒りながら主君が考えを改めてくれたが*1、そういう関係になれなくなってしまったところに、どうしても自分の信念に反する命令*2を吹っ掛けられたのである。
ただ、明晰たる明智光秀はその場で即謀反などというはしなかったろう。多分のらりくらりと交わしたのではないだろうか。謀反を起こした最後の切っ掛けは、四方八方に主力軍勢を送り、畿内が武力の空白地帯となっていたのを見逃さなかったことだろう。反せば、信長は光秀が謀反を起こすなど想定していなかったということでもある。
本能寺の変の理由を単独の理由に帰結させようとするから、"証拠がない"ということになるのだ。忠臣だからこそ生じるエネmeの怨恨の積み重ねに、戦略家だからこそわかる「今ならいける!」という防御の隙を突いたのが「本能寺の変」なのだ。これを研究する歴史家は、まず2ch/5chのエネmeまとめをご覧になっては如何か。
明智光秀の語る危険な「原因」 pic.twitter.com/gns80LXr5q
— 洋介犬@エンドウさん商業連載開始 (@yohsuken) October 4, 2020