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私が北海道開拓を担った屯田兵の末裔である故、いかに米を収穫するのに困難が伴うか、別にTOKIOのアレを見ずとも、祖父の苦労を偲ぶにつけ、米を粗末にすることに対し凄まじい嫌悪感を覚えるというのはあくまでも個人的な感想。それはさておいて、"「米を茶碗に残してごちそうさまする」人間から距離を置くべきと考えるのは、以下の4点が推測されるからである。
- 食べ物を粗末にするということに抵抗が無い価値観を有していると思われること。故に他の食材も粗末に扱う可能性がある。そもそも物を粗末に扱うことに抵抗感が無いのかもしれない。
- 米を残さず食べるために必要な箸の操作ができていない。箸を扱う文化圏ではない、あるいは医学的な理由があるのは除くとして、それでも箸の扱いに問題があるということは。これは第4項にも関わってくる。
- それを他者から咎められても一切意に介しない「金払ってるから好きに食わせろ」「どう食おうが勝手」「他人に迷惑かけてない」という独善的価値観を有していると思われること。端的に言うと「他人の意見に耳をかさない」。食事以外の事でもそうである可能性がある。
- そのことを咎める教育者が家庭内ならびに教育環境に存在しない、或いはしなかったと推定されること。これは婚姻関係を持つ上で重要になる。有り体に言えば、ウトメからそのような価値観を植え付けられる可能性があるということ。
「農家の方に失礼」「お米には神様が宿っている」「ご飯粒残さずに食べないと目が潰れる」とか、スピリチュアル的な理由で納得するものか。マナーや行儀など持ち出しても「そんなの俺に関係ねぇ」と言うだろう。なら、これならどうだってんだ。