苦言を呈したのは、些か年甲斐も無かったかねぇ。
あほくさ。偏差値だなんて、何時まで大学受験の幻影に眩まされているのか。 https://t.co/SHJakAcJs4
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2021年11月25日
将に将たる
漢王朝の始祖、劉邦の話はご存知だろうか?
中国大陸全土を初めて統一した秦の始皇帝亡き後、項羽と天下を争い、勝利して覇者となり漢王朝を起こした人物である。高校の漢文で「鴻門之会」という両雄の会見の場面を読んだことがある方も多いであろう。
漢王朝を起こし、皇帝に即位した劉邦、宴席で出席者の戯れに訪ねる。
「何故項羽ではなく俺が天下をとれたか。わかる奴はいるか?」
…まぁ、物事が上手くいった場合、それを自慢したがるのは人間の性さね。
ただ、問題なのは項羽、劉邦両名の背景なのだ。ご存知な方には言うまでもないが。
項羽は戦国七雄の南方の超大国、楚の将軍を歴代務めた項氏の出、いわば超級エリートなのである。一方劉邦は、その楚の片田舎、沛県出身の、一応豪農の出ではあったようだが、任侠の大親分ぐらいの人物だったのである。超エリートと片田舎の親分。どこをどうみても後者が天下を制するとは思えない。だのに、そうなったのである。これを何故だと思う? と訊いたのだ。
で、どの時代にも怖いもの知らずチャレンジャーはいるものだ。王陵という人物が答えた。(以下意訳)
「あんたは口は悪いし、何かというと罵るし…。項羽は側近を大事にしていました。…側近だけですが」
またこの言い回しも小憎らしいのだが。続き。
「でも項羽は出し惜しみをしました。貴方は功績があった者にちゃんと褒賞を出しました。項羽は全部自分の手柄にしようとしました。理由はこれだと思います」。
また随分言い切ったものである。
しかし劉邦は大笑いして答えた。
「いい線いってるが、惜しいな。俺が天下をとれたのはな。俺は権謀術数は張良に敵わない。内政と兵站は蕭何に敵わない。軍事は韓信に敵わない。だが、この
3人の傑物を用いる能力があった。項羽は傑物の范増一人用いれなかった。違いはそこよ。」
劉邦のこの"くせ"は一貫していて、出身故なのだろうが、「自分にできない事をできる人物を、素直に"すげぇ"と思う」ので一貫しているのである。
漢王朝成立後のgdgdっぷりは主に劉邦のエロオヤジぷりとそれに切れた奥さんのせい。どこのギリシャ神話だ
おかげさま人生
相田みつを氏の詩集「にんげんだもの」を読むとよい。
terra-khan.hatenablog.jp
大学受験の幻影
臨床の場において。
患者の主治医になったなら。その時点でその患者の病魔と闘う"将"なのである。そして、その患者を救いたい、しかし自分はそのための手段を持ちえないなら、"その手段に秀でたる人物"の助力を仰ぐのである。それが"将に将たる"であり、そこに上下はないのである。「自分にできない事をできる人物を、素直に"すげぇ"と思う」からこそ助力を乞うのである。その代わり、その人物が患者に対して"将"である時、我が能力を乞うなら、「ヨロコンデー」とぶっ飛んでいく気分である。そんな関係で、臨床は成り立っている。
私は紆余曲折を経て、科長なんぞになってしまったが、他の科の助力を乞うのに、縦しんば相手が初期研修医を卒したばかりの若人であったとしても、私が欲する知識・技術を以て私の患者を救ってくれるなら、最大限の礼節を尽くす。当たり前の話である。
だから
偏差値がどうのこうの。一端の医者になっちまえば、そんなことは頗るどーでもいいのである。他人を順位付けしたがる癖は、大学受験の時点で捨てちまえ。
それでもなお。序列をつけたいというのなら。「ここは円卓」"凄い事をやった奴がスゴイ!” 実に単純明快だろう?