車の安全な運転の仕方を知ることは大事だが、車の構造は知らなくていい。
— 藤巻健太 衆議院議員 (@Kenta_Fujimaki) May 19, 2022
電子レンジの操作方法は知る必要があるが、電子レンジの仕組みは知らなくていい。
三角関数が多くの技術に応用されているのはわかるが、必ずしも知っている必要はない。 https://t.co/NyiLBbyEJT
元tweet含め、もう袋叩き状態なのであるが。
あくまで個人的な感想だが。
この理屈でいくと、俺は医者だから写真撮影の技術を知る必要もないし、哺乳類や魚竜の進化や過去の超大陸の知識も必要もないし、wikipediaの編集方法を知る必要もない。MInecraftのレッドストーン機構を構築するための論理回路や、建築に関する知識も必要ない。
ただ生活と職業に必要な事だけを知っていれば十分。
…おい、それってなんて言うディストピアだ?
俺は知識は得るものではないと思っている。"喰う"ものだ。最高の酒の肴だ。
腹が減るんだ。俺は知識に飢えている。それがどれだけ高尚なものでも、下卑たものでも。
そして知識を"喰う"ことは、世界を"食む"のと、同義だ。
昔TV番組で『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』というのがあった。「生きていく上で何の役にも立たない無駄な知識、しかし、つい人に教えたくなってしまうようなトリビア(雑学・知識)」を紹介するという趣旨である。その番組の冒頭で、本当かどうかは定かではないが、過去の偉人の言葉を引用してイントロにしていた。
かの哲学者アリストテレスはこう言いました。「全ての人間は生まれながらにして知る事を欲する」
SF作家 アイザック・アシモフ曰く「人間は、無用な知識(トリビア)を得ることで快感を覚える唯一の動物である。」
知識は必ずしも"生きることに必要だから得る"訳ではない。いや、"生きることに必要ではない知識など無い"。
そして必要性云々に関わらず、"知識を得る"ことそのものが楽しいのだと、思える"余裕のある"環境の構築こそ、必要ではないのか。
まぁ、興味が無いなら、そこまでだけど。
最後に一言。
俺の食事の邪魔をするな。