誰ぞが言っていたそうな。「古文・漢文」など意味がないと。まぁ、分からないでもないよ。楚漢戦争の重大な一幕「鴻門之会」をいきなり漢文の授業で出されたって、何が何なのか分かるわけないじゃないか。
だから、近視眼的な利得を追うとこんなことになる。
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— ゆーと@ブラックな超ゲーマー (@sakatokuyt_tg) June 18, 2022
まぁ示唆には富むが、リスクヘッジを述べていない確率と期待値しか述べてない、実に薄っぺらな話だ。
で、冒頭の話。楚漢戦争で劉邦は項羽に負け続ける。そりゃそうだ。田舎の親分と名家の将軍、ガチで戦って勝てる訳がない。ところが項羽が立てた楚の国の王が「最初に漢中に入ったものを王とする」とゴールポストを定めてしまったからさあ大変。項羽は自分は強いと思っている(実際強い)から敵を各個撃破して進軍するが、進軍が遅い。劉邦はできるだけ戦闘を避けて、すたこらさっさ、漢中に一番乗り。で、項羽がブチ切れる「コソ泥がぁ!」。劉邦は「せっかく王になったんだ。項羽と一戦交えよう」。張良が諫める「ガチで戦ったらあんた確実に負けますよ。ここは遜るのです」「そんな口惜しいことできるか」「今はそうしてください。後で挽回できますから」。ということで始まるのが「鴻門之会」なのである。会合で項羽が劉邦をぶっ殺した時点で歴史が変わる大事変で、実際に、同席した項羽の参謀長である范増は「劉邦を殺せ」と再三シグナルを送っているのに、項伯や樊噲の活躍*1と、項羽の「こんな弱者、反逆してもいつでも殺せるし」という"イキリ"で見逃してしまった。その結果は言うまでも無し。
劉邦はぼやく。「俺は項羽に負けてばかりだ。口惜しいぞ」
張良は言う。「負けなされ。遜るのです。負けてばかりいれば必ず相手は傲慢になります。最後の1回、決定的に勝てればいいのです。今は耐えなされ」
「良薬口に苦し」という諺も張良が由来である。同僚やましてや部下の諫言などプライドを損なうものに聞こえるけれど、冷静に聞き入れてこそ、正しい判断ができるという話である。もっとも、劉邦のヤバいところは、"自分は無能だ"と分かっているから、自分ができないことができる人物を重用したから漢王朝を立てることができたというのは、よく知られた話ではある*2。一方の項羽は「俺はなんでもできる」と思っていた。だから負けたのである。
歴史は教える。確率論で勝てぬ場合がある。しかし、良き協力者を得て、さらに「負け続けてもいいんだ。最後の一手で勝てれば」という教えがあったからこそ、劉邦は漢王朝を立てられたのである。だが、ぶっちゃけ「連戦連敗」「コソコソ戦から逃げてゴール」という評ならば、近視眼的には誰も従おうとしまい。あの戦況で劉邦につこうという判断をするのも、結果を知らない当事者からすれば無理なものだろう。普通は田舎の親分より歴史に名だたる出身者につくだろうよ。だから韓信も迷ったのである。
時代の趨勢を読むのはいかに難しいことか。単純な計算で未来を予測できるならどれだけ楽な事か。そんな話は昔話に溢れている。
古典を読む、漢文を読む。"授業"なぞ所詮歴史の一かけらよ。そういう意味でも、古典・漢文を教育から除外することに、私は反発するのである。