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起点とベクトル

やはりtwitter集合知だ。ショッギョムジョでサツバツたるツイッタランドだが。

発端


リプライと引用RTを見て頂ければわかるが「私だ…」「わかる」と「つきあってられんわ」「そりゃ友達になりたくない」の両極に分かれている。正直なことを言うと、俺は後者だ。が、「なぜこんなことに?」について述べなければ、blogの意味がない。

行程と実行

いきあったりばったりでもなければ、旅行…とまでは行かなくても、行程表はできあがる。

  1. 18:00にA地点に行きたい
  2. A地点の最寄り駅はB駅で、B駅からA地点まで徒歩で10分。17:50にB駅に到着したい
  3. 17:50に近いB駅到着時刻の列車は、自宅Dから徒歩20分のC駅発17:10発B駅17:42着。
  4. でもギリギリに乗りたくないから、発射10分前の17:00に到着できるように、自宅Dを16:40に出発する。

普通はこう考える。 計画を考えるのは「Aに行くためにDから行く行程」なのだ。しかし、当日やるのは「DからAに行く行程」なのである。計画行程は「A→D」。実行行程は「A←D」なのである。

齟齬

このベクトルが真逆であることを理解していないのが齟齬の根源だと思う。
「何時に家を出るの?」と尋ねて、訊き手からすると、計画行程「A→D」は前提条件なので実行行程は「A←D」の起点である「(D発動時刻の)出発時間は何時?」と訊いている。なのに返答として「A→D」を全部述べ始めるから、訊いている側は"そこに行きつくまでの行程"を全確認、復唱することになる。今回の例は4項目だからまだ単純な方で、さらに行程数が増えた状態でこれをやられると辟易する。これに本気で応対するとなると、計画行程「A→D」を全部聞いた後、「つまりDを16:40に出て(C駅17:40発の列車に乗って、17:42にB駅に着いて)18:00に行きたいのね?」という、まず全部聞いて計画行程「A→D」を聴いた後、それを要約する作業を要求されるのである。話し手は「そんなこと求めてない」と言うかもしれないが、訊かれた側は実行行程は「A←D」の起点が分からないので、全部話を聞いて、ようやくそこに到達する。"そうせざるをえない"のである。

とはいえ

最初に戻る。意見が両極だといったが…実は計画行程「A→D」のAから始めること、実行行程「A←D」のDを述べること、場合によってはどちらを重要視するかが変わってしまうのだ。極端な例で言えば学術論文は計画行程「A→D」のAから述べ始める。「DからAに至るまでの全課程晒してやるから文句ある奴はかかってこいやぁ!」というのが、所謂「メソッド"method"」である。しかし、日常でほとんどの場合必要なのは"実行行程「A←D」のD"なので」ある。手っ取り早い結論に、迂遠の課程はいらない、そういうご時世、なのである。

さて、双方の立場の意見をお伺いしたいところだ。

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