ひでぇタイトルである(笑)。だが、少しばかり真面目に話をしよう。とはいえ根拠の乏しい、酔った狂人の戯言程度に思って頂ければ。
ことの発端は、このtweetである。
私もこのトイレ問題を調べたんですが、江戸時代の日本は江戸周辺の百姓が下肥を畑の肥料として使っていたので、むしろ便が足りなかったようですね。
— 佐々木鏡石@『じょっぱれアオモリの星』、12/28発売 (@Kyouseki_Sasaki) March 9, 2023
よく落語とかに出てくる貧乏長屋の住民が店賃を貯めてるのに追い出されないのは、彼らがする糞尿が家主の収入になったからです。→ https://t.co/33Z0p76cRO
所謂「なろう系小説」の物語のベースは"一般に膾炙されている"中世ヨーロッパをモデルにしているのをよく見かけるが、コロンブスが新大陸を発見してからヨーロッパに流入したジャガイモ、トウモロコシ、トマトなどが既に流通しているなど、史実に鑑みれば錯誤しているのを「なろう系小説のヨーロッパ」=「ナーロッパ」と揶揄されているのである。で、今回問題なのは屎尿処理。
バキュームカーという名の"誰か"
下水道の完備の有無は、そのまま公衆衛生の保持に繋がる。糞便を介した感染症など、枚挙に暇がない。
メソポタミア文明のバビロン、インダス文明のモヘンジョダロでは、下水道と思われる施設が見いだされている…が、なにせ古代過ぎて本当にそのように運用されていたのか、ちょっと疑わしい。で、時代を下って、古代ローマの都市にも下水道施設を見出すことができる。…ん? あれ? その前のギリシアは? と考えた方は鋭い。どうもアテナイを含む古代ギリシアのポリスに、下水道施設が見つからないのである。さらに実は、下水道施設がある古代ローマの都市、とはいったが、屎尿を屋外に流出させる機構は、どうも豪邸にしかなかったらしく、それ以外の人々の用足しには、使われなかったようなのだ。
では、古代ギリシア、ローマ人は公道に屎尿をぶちまけていたのか? という疑問が出るが、それはどうも「No」のようだ。何故? 現代人からすると忘れている概念がある。当時は奴隷制なのだ。
ようは、現代のバキュームカーの役割を、奴隷が担っていたということ。壺か何かの容器に皆で用を足して、ある程度溜まったらその容器を市外城壁の外でぶちまけて戻る。文字通り「臭い物に蓋」だが、当時はこれで「ヨシ!」としたのだろう。ただ…夏に乾燥する地中海気候、場外にぶちまけられた屎尿が乾燥して粉末状になり、風と共に舞い上がったら…お察し下さい。市内が屎尿で汚れていなかったとしても、屎尿を介した感染症は、たやすく拡散するのである。
一方の東洋。屎尿を捨てるも何も、"糞便をそのまま栄養素に変換するバイオリアクター"が存在したのである。オーパーツ? いいえ、違います。豚です。豚は人糞を食うので、トイレの先に豚を飼うのである。「豚便所」という。とはいえ流石に便ばっかり食べる訳ではないので、藁など一般的な飼料とまぜこぜにしていたようだが。高祖劉邦の妻、呂后が戚夫人をあれやこれやして"人豚"と呼んだのが、どれだけヤバイ話のか、この背景を知ったうえで考えれば、どれだけ悍ましいことをやっているのか分かるだろう。なおこの「豚便所」、実際陶器で作られているのだ。誰だこんなものを3Dミニチュアで作った奴は!
ano-hacienda.hatenablog.com
暗黒時代? ウン黒時代
だが、洋の東西を問わず、屎尿処理や下水道の施設に関する資料はここで途絶する。私も調べてみたが、資料がないのである。そして西洋では、突如中世まで話が進んでしまうのである。マリー・アントワネットの話である。
まぁ、言うまでもないが、当時のパリでは屎尿は公道にぶちまけていたというのはよく聞く話。で、市内が悪臭漂うので貴族は濃い香水を纏っていたと。一方、オーストリー出身のマリー・アントワネットは嫁いだ先でも毎日の入浴は欠かさなかったとのこと。…ん? なんでフランスとオーストリーでこんな違いが? そこはまだ調べ切れてはいないが、興味深い話である。閑話休題、少なくとも、高貴なる身分が相当に強い香水を欲した程度には、市内は相当臭かったと思われる。もっとも、パリの名誉のために追記するが、ロンドンに至っては産業革命まで…ゲフンゲフン。
しかしここで疑問に思わないだろうか? その屎尿を肥料に使えばよかったじゃない。…誰だってそう思う、俺だってそう思う。だが、そんなことは城外に屎尿をぶちまけてた古代ギリシア、ローマ時代から知られていて、実際当時の人々もやっていたのだ。だが、そこに問題がある。屎尿はそのままでは使いにくいのだ。
肥料の三大要素として「窒素」「リン酸」「カリ」がある。
- 窒素: 正確には窒素化合物。光合成で炭水化物ができても、アミノ酸や核酸の合成には窒素化合物が必要。しかし空気中の窒素分子(N2)は超絶安定物質なので使えない。雷などの高電圧で窒素酸化物を生じる(だから雷の落ちたところの稲がよく育つから「稲妻=電」)のでなければ、生物体の分解産物=死体や排泄物から回収するのが手っ取り早いのである。
- リン酸: DNA、RNAなどの遺伝子抗生物質である以外に、ATP、GTPなどのエネルギー、情報伝達に必須の元素…なのだが、地殻含有量はカリウム、マグネシウムはおろかチタン以下。元素なので窒素化合物のように"降って来る"訳ではない。現代でもグアノが主要資源なのはこのためである(海中のリンを地上にためる数少ない経路。もう一つがサケ類の遡上)。
- カリウム: ありふれた元素だが、細胞外より細胞内の方が圧倒的に濃度が高く、Na-Kの濃度差によってエネルギー(ADP→ATP)を生み出しているので、ナトリウムよりはるかに多くの量が必要
他に硫黄、マグネシウム、カルシウムなど、必要な元素はたくさんある。生体の死骸や排泄物は、これらを多量に含むので、肥料として用いればさぞかし良いように思われるが、もちろんそうではない。通常の医療においても、高アンモニア血症、高リン血症、高カリウム血症のいずれも、致死性のものである。肥料のやり過ぎで「根腐れ」というが、やればいいというものではないのだ。
植物の研究をされていた昭和帝が「雑草という草はない。それぞれに名前がある」と語った、というのは真偽が怪しいようであるが、それに続いて仰られた言葉も、ただの伝説なのだろうか。
「家畜に踏みつぶされ、高濃度の窒素である屎尿に塗れて、なお育つ草を、雑草とは言わない」
濃すぎるのは毒
ゆえに、屎尿は水で希釈してから散布する必要がある。「尿は肥料になるから」とか言って立ションする馬鹿がいるが、大間違いである。尿に含まれる窒素化合物の大半は尿素、クレアチニン、低分子タンパク質なので、植物が利用できるためには土壌の細菌がこれらを窒素酸化物あるいはアンモニアにしなければならない。しかも濃いので周辺の土壌を荒らす。ふざけるな! っていうことになる。
話を戻して。屎尿を散布すれば植生が促進されるのは、古代から知られていたこと。しかし問題なのは、前述の通り"濃度が濃すぎる"ので「根腐れ」が生じること。もう一つは、もう言ったはずだ。「夏に乾燥する地中海気候、場外にぶちまけられた屎尿が乾燥して粉末状になり、風と共に舞い上がったら…」…労働人口が減ってしまえば、食料供給も減ってしまい、ひいては総人口が減ってしまうのは、当たり前なのだ。
にもかかわらず、中世で最大の人口を擁したのが「江戸」であったのは、理由はあるものと考えている。とかく目にするのは「江戸時代は屎尿をリサイクルした循環型社会であった」という言説なのだが、私はこれの全てに賛同はできない。なるほど中世ヨーロッパのような、屎尿を公道にぶちまけることがなかったというのは、公衆衛生の保全、ひいては人口の維持に関して重要だと思う。ただ、もう一つ注目すべきなのは、江戸四大飢饉というのはあれど、実はいずれも天変地異による「農業的生産量の低下」であって、単に「全国民の熱量を維持するだけの穀物を確保できなかった」なのである。同じく糞便を使用していたのに、何故?
当たり前であるが、糞便を直接肥料に使うと、糞便中にいる蟯虫・回虫の虫卵がわんさかいる。それを肥料にして育てた作物を摂取すれば、虫卵は次の世代へ。韓国に逃げてきた北朝鮮兵士を手術して、腸管の中に寄生虫がいっぱいだったという記事*1を見たが、北朝鮮では糞便をそのまま堆肥にしていたのだろう。
では、江戸時代の人々は何をしていたか。「肥溜め」である。
「肥溜め」とは、屎尿を掘った穴に入れ、最後に藁を敷き詰めてしばらく置く。それから水で薄めて堆肥に使うのである。ここで重要なのが最後の"藁で敷き詰める"だ。「肥溜めに落ちる」のは落とし穴の典型的表現だが、確かに表面を藁で敷き詰めるのだから、落とし穴と同じ構造なので、そうも言いたくなる。だが、藁で敷き詰めるのは、ただ屎尿を撒いて堆肥にするのとは違う最後の経過をたどる。
おいでませバチルス
…私の調べが足りないのか、西洋では屎尿を肥料にするというのはみかけるが、"イネ科植物の乾燥物"を混ぜ込んでから肥料にする、という記録が見つからない。西洋にもムギ科植物の藁などあったろうに。
落とし穴のような"表面を藁で敷き詰めた"肥溜め、が最後のキーワードだ。肥溜めだと蟯虫・回虫の感染率が下がる。何故? 肥溜めで発酵する際に、発酵熱によって局所的には最大70℃まで加熱される。蟯虫・回虫を含む線形動物門は、とかく高熱を嫌う。発酵熱によってこれらの虫卵が死ぬことにより、感染率が下がる。勿論均一に加熱される訳じゃないので、完全に滅菌できるわけじゃないが、それでも屎尿をそのままぶちまけるよりは、だいぶ、だいぶ、感染率は下がるだろう。
さらに拡張したことを言うと。肥料となる硝酸塩を屎尿…どころか動物死骸から得ようと考えた理由は、「戦国時代」にあるのではないかと考えている。
火縄銃(種子島)がポルトガルから日本に伝わり、長篠の戦で織田・徳川連合軍が武田騎馬隊を破った…というのは、教科書でもよく読む話であるが、問題はその火縄銃である。銃そのものの構造は、日本刀を製造していた冶金術の専門家でバックドアをやるには簡単だったろう。問題は銃弾を打ち出すのに必要な火薬…木炭・硫黄はこの国に腐るほどある。どうにもならないのが硝石…硝酸ナトリウム・カリウム塩である。欧州では岩塩中に含まれる(だから採掘扱い)が、日本では火山灰・火成岩ベースの地層+多雨なので"そんなものはない"。鉄砲を運用するには硝石の輸入経路の確保が必要だった。その通商ルートの一端が「本能寺」だったのだ。別に信長は気まぐれに寺に泊まったのではない。通商の確認のために立ち寄ったのだ。
明智光秀も、信長がフラフラ気まぐれに宿を決めたのなら攻めようもなかっただろう。
"通商状況の確認のためにここに必ず泊まる"と分かっていたから、攻めたのである。
では、硝石の流通ルートを織田に〆られたら、どうやって硝酸化合物を手に入れる? そこで出てきたのが「硝石丘」である。硝石が手に入らない状況で、最大の硝石産出源とは。大型の動物の死骸、言ってしまえば人の死骸である。
togetter用資料
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2016年11月6日
つまり今から、このへんの話…歴史上の、排泄物と武器の関係についてのまとめをつくるわけです。
まだ資料が足りないんだけど。 pic.twitter.com/dFE91UGSZZ
ここで注目なのが、硝石を入手するのが目的であるとしても、やはり"藁で覆う"のである。なぜ藁に拘る?
そこに注目したい。煮沸した藁で茹でた大豆を包むと納豆が出来上がる。枯草菌は、元よりイネ科表面に住み着いており、高熱に耐えられるので藁を煮沸することで納豆菌を含む枯草菌のみが生き残り、枯草菌が大豆を発酵することによってできる、それが納豆である。まぁ勿論、藁納豆でない限り、市販されている納豆は、純粋培養された納豆菌により制御された発酵のもとで販売されているので、話が違うが。
で、思い出してほしい。肥溜めは"発酵熱"によって寄生虫卵が死滅することによって、肥料に使用した時の感染率が下がる、その発酵熱の中心こそ、混ぜ込んだ藁に付着していた枯草菌、バチルス属である。納豆菌もこの一族だ。発酵によって熱が生じる際、他の細菌や線形動物は熱によって死滅するが、バチルス属は耐熱性が高いので生き残る。納豆を作るのに藁を煮沸するのは、熱に強いバチルス属である納豆菌だけを残すためだ。熱により寄生虫卵を含む病原体は死に、生き残った枯草菌が、屎尿を堆肥に変えるのである。おそらくはそんなことは最初は気にしていなかったのだろう。しかし、元は遺骸を原料に硝酸塩を生成したのだが、徳川幕府江戸時代になって平和の時代になった際、硝酸塩製造者がどのように時代の変革に対応していったか。
ウンコ東西
元々硝酸塩が採掘できたヨーロッパ。硝酸塩を遺骸からでも抽出しようとした日本国。ウンコを汚物とした西の世界と、これをどう利用してくれようか悩んだ東の島国と。
誰か、ウンコ処理の歴史を研究してくれる方はいないかね。