このBlogでも何回も述べた気はするが、重要な事なので何回も書く。
まず、対象者に「こうあって欲しい」という祈りとも念とも言える概念のが、"呪"の"一部分"だ。まぁ、"呪"はかなり広い概念なので、今回はここだけを話すが。
で、重要なのが「こうあって欲しい」の内容が"正"であっても、"負"であっても構わないのだ。おかげさまで、こんな間違いは発生する。
dic.pixiv.net
これ書いたの左翼の人だと思う pic.twitter.com/bbqfr6tWQD
— 東郷ゆう子の旦那 (@togootto) August 10, 2024
どこぞの樹海の木の幹に、ありったけの憎悪を込めて描いたのであろう文字が「祝ってやる」。まぁ、コラらしいが。
しかしとても重要なのは、「祝う」は"呪"の一部なので、字がよく似ているのだ。祝うとは「(あなたに)良いことがあって欲しい」という"呪"だ。
なお、大和言葉では「ことほぎ」。「こと(言葉)ほく*1(述べる)」。これも"呪"だ。なお漢字では「寿ぐ」と書く。あれ? 「寿」の音読み、何だっけ?
では、「こうあって欲しい」の内容が"負"の場合とは? これこそ、所謂「呪い」、「呪詛」というやつだ。「詛」という字が「のろう・うらむ・そしる」という意味*2だ。「(おまえに)悪いことがあって欲しい」という"呪"だ。
"呪"とは、対象者に与える概念力。「祝福」と「呪詛」は、同一直線上にある方向正反対のベクトルだ。
で、だ。この"呪"というもの。
「基本的に戻って来る」。それが"正"であっても、"負"であっても。"そのベクトルが乗っている直線から離脱でもしない限り"。
この原則、"正"のベクトルだと、大して問題にはならない。後方視的に検証して「あれ、そうだったのかしら?」というくらいだろう。稀に「倍返し」されることもあるが。
しかし、"負"のベクトルだと、大問題。放った側は、な。元々の性質として"放った者に返る"という性質があるので、"少しばかり力を加える"だけで、"呪"は、その放った者に返っていく。「二指真空把」より簡単。手練れであれば、「倍返し」できるだろうさ。
…"呪"とはそういうモノだ。だから、迂闊に"呪詛"なぞ口にするものではない。必ず返って来るからな。それでも言いたければ「王様の耳はロバの耳」よろしく深い穴を掘ってそこで一人で叫ぶか、"相手に呪い返しをする暇も与えない"の2通りしかない。
"相手が見えなくとも公共の面前である"SNSに「呪詛」をだらだら垂れ流しする連中を見ていて、「お前ら大丈夫?」という感想しかないのである。