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しゃもじとランプ考

本邦の岸田首相が、ロシアと交戦中のウクライナのゼレンスキー大統領に「しゃもじ」を贈った。このしゃもじと、もう一つが問題だ。


このtweetで合点がいった。なるほど、「呪物」だ。そして、こういうのは日本からしか、贈れないんじゃないかなぁ、と思うのだ。そして、もう一つの贈り物が、対になると思うのだ。

欧米や中東を含め、"砂漠の一神教"においては、神は絶対の審判者である。人間があれこれ祈ったり呪ったりしても、あくまでも神が審判を下した結果が出てくるだけだ。たまに"余程壮絶な事態が発生した場合にその当事者とも言える物体"が、所謂「呪いの品」になることはあるが、それはあくまでもその事態の当事者の怨念なり概念なりが"染み付いた"結果の産物であって、凡人がホイホイ作れるものではない。
日本は違う。御仏はまた少し毛色が違うが、日本の神々は人間に対する審判者ではない。"力"そのものなのだ。稲が実るのも、雷が落ちるのも、地震も台風も、大人物の恨みも功績*1も、全部神様にされてしまう。しかも、台風のように来れば暴風雨で大被害をもたらすが、来なければ旱魃・水不足で困るといったように、人間にとって良い面も悪い面もあることも踏まえている。「荒魂・和魂」である。ただ、いずれにしても審判者の性格はない。ただの"力"なのだ。したがって、祈ったり呪ったりした場合、神は審判するのではなく、条件が揃えば"その力を貸し与える"、有り体に言えばただの祈り/呪いの増幅器ブースターなのである。ただし、その代価はきっちり取り立てる、という特性もあるが。
で、件のしゃもじ。日本に数ある神社の中でも創建が古く、平氏や毛利家の崇敬を集めた「厳島神社」にゆかりがあり、日露戦争時代に「飯取る=(敵を)召し取る」とゲン担ぎの"呪"がかかるしゃもじに、一国の首脳が"必勝"という言葉と共に自分の名前を記した、となれば、それはもはや第一級の概念礼装だろうよ。
一方、同じく贈っている「宮島御砂焼による折り鶴をモチーフとしたランプ」も大概の概念礼装であろう。厳島神社のある宮島の寺院「大聖院」で、"平和の象徴たる折鶴"をお焚き上げ-お焚き上げとは祈りを天に返す行程である-した灰を釉薬として調合した「折鶴灰釉」を使用したランプのようである。そしてさらにその形は、広島の「原爆の子の像」を思い起こさせるのである。前記で"御仏はまた少し毛色が違うが"と言ったが、"力"である神と違って、御仏の根幹は"救済"なのだ。まぁ、宗派によって差異はかなりあるだろうが。お地蔵さんが6体セットになっている六地蔵は、仏教の六道輪廻の思想(地獄道、餓鬼道、畜生道修羅道、人道、天道)に基づき、「どの界に行ったとしても全部救ってやるぞう!」という意味なのである。親鸞聖人の「悪人正機」も、その道理なのだが。
つまり、「しゃもじ」は「ロシアに勝て!」という荒魂、「折鶴ランプ」は「人が救われますように」という和魂だった訳だ。
…うん、やっぱり、呪物だ。概念武装だ。

Appendix


それには気付かなかった!

*1:ex. 菅原道真

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