仁和寺の法師とか源博雅に「何やっとんねーん!」ってツッコミたい。
— Terra Khan (@DrTerraKhan) September 24, 2026
これに関しては前も述べたことはあるのだが。
terra-khan.hatenablog.jp
ここでも述べたが、教科書で楚漢戦争のクライマックスだけ勉強させるのが悪い。
映画『タイタニック』でタイタニック号が沈没する瞬間の場面だけを見せているようなものだ。誰が面白いと思うのか。
あるいは李白の詩をみせて「描写が美しい」と言われても、
モネやルノワールの絵画をいきなり見せられて「美しいだろう」と言われて「お、おう」としか言いようがないのと同じである。
嘗て国語の先生に言われた。
「漢文だ古文だといっても、それは"その時の人達が、その時の言葉で述べた"だけであって、たかだが千年程度経っても、人の言いたいことなど、大して変わらない。
当時の人達だって言いたいことは言うし、感動したなら感動したという。今教えているのは、その当時の人たちの思いや感情を知るための道具だ。」
今も昔も、心に響く事柄を同じくする、その琴線を共に触れることができるのが「教養」だと思っている。
なお
「源博雅に『何やっとんねーん!』ってツッコミたい。」という話。実は源博雅のエピソードはやたら多すぎなのだが。一推しは。
曼殊院本『續敎訓抄』十一上「吹物部」
とある人物*1が「博雅、野郎ぶっ殺してやる!!」と恨んで、実際に刺客十数人を送りこんだ (めっちゃ恨まれてる!) のだが、当の博雅は恨まれていることなどつゆ知らず、自宅の戸を少し開けて「奇麗な月だなぁ」と眺めているもんだから、あまりの無防備さに刺客はドン引き。さらに感極まった博雅が、大篳篥を奏で始めた。本邦最高の楽師と謳われた源博雅の奏でる音だ。刺客、全員撃沈。全員感動して落涙するのを止められず撤退。「あんなの殺せませんよ!」と依頼主に伝えたら、依頼主も落涙。ついに暗殺は止めましたとさ。
これ、国語の問題に出たやつです。
*1:原典では明記されている
