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いいひと

“いいひと”という評価に関しては、私は2004年4月24日に記事を掲載している。

再掲記事

「尊敬や憧れという感情には、愛が無い。」

Hikkiの「UH3+」より。

「いいひと」という評価は、決して喜ばしいものではない…と考えてしまうのは、誰ぞに釘を刺されているからだ。

「いいひと」という評価は、その人にとって“都合の”「いいひと」ということだ、と。

…2年前なら、「そんなことはない」と威勢良く反論したのだろうが。俺も悪い意味で老けたもんだ。

「いいひと」評価論

…先の話はかなりスレた話。「いいひと」という評価は、決して喜ばしいものではないと感じる理由はもう一つ。自分自身を全く「いいひと」とは思っていないせいである。

只の謙遜(を通り越して時に“自虐”や“卑下”になってるあたり、これまた愚かしいのであるが)の類によるものではない、という釈明が必要であろう。というより、相方(?)に奨められて読んだ『魯迅評論集』の「私は人をだましたい」に影響されるところが大きい。

引用すると長くなりすぎるので、是非とも原著を読んで頂きたいのであるが、要するに「いいひと」と言われると、魯迅の表現を借りるならば「良いことをしたと感じるが、しかし直ちに気持ちが悪くなって、石鹸か何かを食ったようになった。」(魯迅が何故この様な感覚を覚えたかが原著のミソなので、やっぱり読まれたし)

私の場合は、仮令その人に出来たことがその人にとって良いことであったとしても、それは偶々俺がそうしようと思っていた(気まぐれの事だってあるし、何ぞの特別な感情に起因することもあるが、それは相手と場合による)時に、偶々そうする機会に恵まれただけのことであって、では別な人物にも同じようなことが出来たかどうか(この段階で俺のエゴが激しく介入する訳で)、また同じ人であってもタイミングを逃せばまた果たして出来たかどうか、甚だ怪しいものだ。という訳で、とりあえず“その人に”感謝されこそすれ、「いいひと」という評価に値するかといえば、既述の理由により該当しないと思うわけだ。加えて、そんな“恣意的+偶然”の産物で「いいひと」の評価を受けてしまっては、何だか相手を騙してしまっている様で、今一つ溜飲が下がらないのである。

それでもやっぱり「私は人をだましたい」のだから、まぁいいのか。だから俺の行動はいつだって“偽善の切り売り”なんだろうなぁ。

「まさかあんないい人があんなことをするなんて」

えもと氏の場合は「いいお医者さんになりそう」というアレンジがあるので、こうではないと思う。が、それはそれとして。

「まさかあんないい人があんなことをするなんて」ということになるのは、単にこの発言者は、対象者から“いいこと”をされた…のではなく、少なくとも危害を及ぼして來る事が無かった、から、その発言者にとっては“都合のいい人”だったんだろう。ただ、他の人間に対しても“いいひと”であるとは、限らなかっただけの話で。

評価はいらない、アンタが笑ってくれ

ぶっちゃけ、上記再掲記事の理由から、「いいひと」と言われるのは、私はどうも素直に喜べない。実際、私にとってそんな評価はどうでもよいことだからね。私にとっては、「他人からどう思われているか」よりも「自分のしたことで相手がどれくらい喜んでくれるか」の方が、よっぽど重要だ。だって、私は、偽善と傲慢の役を任ずるのだから。

「尊敬や憧れという感情には、愛が無い。」

Hikkiこと宇多田ヒカルの「UH3+」で登場する言葉であるが、そういえば「BLEACH」でも同じような台詞が登場する。

良い機会だ 一つ憶えておくといい 日番谷くん
憧れは 理解から最も遠い感情だよ

久保帯人BLEACH

BLEACH 20 (ジャンプ・コミックス)

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「この手の人間は危ない」という、いわゆるレッテルの陽性鏡像だ。両者とも対象に対して、非常に限られた情報からしか、相手を捕捉理解できていない、ということだ。またその性質上、「提供する情報を制限する」というマスコミ力学の影響をモロに喰らうということも、共通する。
この行為は、人間を理解評価する、という行為をサボったような行為だ。人間というのはとかく様々な側面を有する。他者はその側面の推測しかできないのだから、本気で相手を理解しようとすることは、外観・挙動・言動・こちらの働きかけに対するreactionから瞳の奥に映るなにやらまで、ありったけの解析の、バイアスを排した積算集積に他ならない。ヒトをカテゴリーとして捉えても、人間の集合としての傾向の推測にはなっても、そのヒトを理解する、ということからは程遠い。
もっとも、様々な側面を持っているからこそ、人間という存在も、多くのヒト達と会話するのも、とても楽しいものなのだけれどね。

さて。

貴方は、私は、相手のコトを、しっかり“見て”いますか?

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