以前にもこのblogで記載した気もするのだが。
俺の旅行のお約束条項として、「旅行した先の地酒を1本、地元の神社に奉納する」というのがある。
…という話をすると「偉い!」と言われるのだが…こちらとしては違和感しかない。正直、偉いかどうかという概念は、興味が無い。
この条項を定めた理由は2つ。
さらに詳細な理由は伏せるとしても、「ご加護により無事に帰って来られました。次の旅行も何卒ご加護をお願い致します。」という祈念。
もう一つは、「どうせ御神酒に使われるなら、私が訪れた先の各地の美味い地酒をご賞味頂きたい。」という吞兵衛の矜持からである。
何故今またこんなことを書いたか。
私は、その神社の崇敬者であり、多額の奉賛も行っているが、その神は"裁定者"ではない。"只の力"なのだ。
私は祈りを捧げ、神は加護を下さり、私はその御加護で旅に出て戻り、その成果を神に捧げる。神はまた御加護を下さる。…という無限循環が、俺が死ぬまで続くだけである。
その御加護とて、"無問題にする"のではなく、"異変が発生してもどうにかなった"なので、別に加護が無限遠に有効な訳でもない。
terra-khan.hatenablog.jp
俺が法に悖る行為をすれば(しないけど)、それ相応の結果になるのは必定なのだ。
"神は絶対の裁定者"という宗教と、相容れないのは、そりゃそうだろうとしか思えないのである。