旧Twitter(現X)の「コミュニティーノート」というシステム。当たり前だが、万能ではない。元よりそんなことは期待していない。
「コミュニティーノート」は"回避できない批難"ではないのだ。ブロック出来ないリポスト(旧: リツイート)やリプライではないのだ。その"投稿"(post 旧tweet)の論拠に"公で確認しうる論証"があるか否かを求めている。腹立たしくも、論拠がなくては"投稿(post)”に反論したくとも、確固たる公開証明がなくては、コミュニティーノートは付けられないし、付けたとしても棄却される。実際、そのようなコミュニティーノートは俺も棄却を選択するだろう。
とはいえ、そのような査定を経て顕在化した「コミュニティーノート」というのは、"余程"と考えた方が良いだろうよ。「AだからBだ」という輩に「Bは間違ってる」と言っても届きはしなかろうが、「そもそも"A"が間違ってる」と言われたら、まぁ、さてあらん。