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易姓革命 ⁄ 純粋抽出

俺は何を間違っていたのだろう? ———THE PLANET SMASHERSの「BLIND」宜しく、ずっと考えていた。…否。答えなどとうに出ているではないか。
“すべてが間違っていた”といえば、如何にも詩的で聞こえが良いものだが、生憎こちとら現実主義者だ。問題点は可能な限り明確にする必要がある。さもなければ解決には至らない。しかしながら果たしてその結論は正しいのか、それたも正しいと思い込んでいるだけなのか? 疑念は尽きやしないが。
結局のところ俺は

  • “希望など必要ない”と言っておきながら結局希望を求め
  • “救いなど要らない”と言いながら結局救われることを望み
  • “一人でも歩いていける”と言いながら結局他者との交わりを好み
  • “私は私の好いた人が私の好いた人の好いた人と幸せになることを望んでいればいい”と言いながら結構嫉妬したり
  • “動けるようになった”と言いながら、結局それは“前のめり”にならざるを得なかった=そうやって強制しなければ進めないほど、俺は未来や他者に対する“恐怖心”を拭えてはいなかった

のである。…他でもない、仏教で言うところの“煩悩”ではないか。それでよくもまあ大口を叩けたものであるし、余所様のことを指摘できたものだと苦笑を禁じえない。
それでも、それだけ全力疾走で間違った方向に進んでいたとしても。その中で間違いではない、正しいものがあるとするならば。それは「ありがとう」と言われるときに向けられる笑顔だけ。
俺は決して「いい人」なんかではないし、ましてその初動たるや“強迫観念”なる酷く下卑た代物である。しかしそれに対して返ってくる反応にそんな俺の行為が放つような腐臭などあるはずもなく、また寧ろ、こちらが浄化されるような心地よさを覚えるのだ。その感覚に比して、ただ自分の欲望を満たすことで得られる快楽など、また微弱なるのも事実。
俺は「どうせその理念は原理主義者のテロリストと同じだ」と言い放った。この喩え、あながち間違いではない。なぜなら上記の“浄化されるような心地よさ”とやらは結局、かつてアラムートの山老が放った刺客達が嗅いだハシシュと同質(なぜならそれを求めてまた新たな行動を起こすのだから)であろうし、また自分以外(例に則るならば「ウンマ」と呼ばれる共同体)の救済のために戦う姿勢は、テロリスト達と差異が有る訳ではない。…ただその行為の結果が、また別の他者を殺傷するか、そうではないかという違いだけで。
それでも、あるいはそれ故に。太陽も月も沈んだ、北極星さえ見失った漆黒の闇の中で、ただ一つ、それだけがまるで灯台から放たれる光の様に、進むべき道を指し示す。仮令それがローレライの歌声であっても、俺は喜んで沈んでいく運命を受け入れるだろう…って、ますますハシシュっぽいが(笑
而してその行為たるや、決して「あなたの幸せを祈らせて下さい」的“理の無いもの”であってはならない。行為は常にその結果および影響を以って評価されうるのである。フィードバックを繰り返し、その手段と行為を連続的に改善していかなくてはならない。
仮令この想いが贋作でも、偽者でも、また誤っていても。自分の心の裏にべっとりとこびり付いた煩悩と、ずっと闘い続ける。そして誰にも負けないモノを作れ、常に最強のイメージを想え。誰をも騙し、自分さえ騙しうる、最強の模造品を想像しろ。難しい筈はない。不可能なことでもない。もとよりこの身は、それだけに特化した練成回路! なぜなら、あの“笑顔”だけは、決して、間違いなんかじゃないんだから———!!

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