職に就いて早1ヶ月。昨今の我が実情を見るに、表す言葉はただ一つ。
「——ああ、何て、無様」
いや、わずかひと月で何が出来る訳でもないのは当然なのだが。それでも、患者さん方にとっては“先生”な訳だし、別に教育熱心だからって特別手当が出る訳ではない*1のに、上の先生は良く教えて下さる。俺のような未熟者の“お守り”をしているより、自分の仕事がしたいだろうに。そしてその多分な恩に報いる事も出来ぬとあっては、頭では分かっていても、なかなかどうして辛いモノがある。
そんな思いがあるから、新人歡迎会の挨拶で「未だ赤児の様に何も出来ませぬが、何卒宜しくお願いします」と言う。
だが、“赤児”と例えた理由は、もう一つある。確かに赤児は、誰かに面倒を見てもらわなければ、何一つ出来はしないのだけれど。その手は、何時だって空へ向けて伸ばすことが出来るのだから。
「空へ手を伸ばしていれば、仮令今は届かずとも、何時か星にも手が届くだろう」
嘗て人々が星に思いを馳せたように、■は未来に向かって足掻き続ける。*1:という様な言葉は過去にも何度と無く聞いている