若干の釈明を交えて。
過去再三述べてきた事だが、俺は理想“主義者”は嫌いだ。それは、“理想の美しさ”を述べるに留まり、現実を直視しないからだ。
「現実主義者は、それが個人であっても国家であっても、なぜ常に憎まれてきたのだろう」
(中略)
「現実主義者が憎まれるのは、彼らが口に出して言わなくても、彼ら自身そのように行動することによって、理想主義が、実際は実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからなのです。
理想主義者と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くはないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも予想した効果を生まなかったことを感じないほど愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです」塩野七生 「海の都の物語 1」
海の都の物語〈1〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/05/28
- メディア: 文庫
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だが、理想を理想として自覚し、現実を変えようとして戦う人たちがいる。それは現実という障害に立ち向かう挑戦者だ。当然無傷ではいられない。その傷が余り深くないことを祈らずにはいられないし、自己犠牲なんてことをし出すのは、俺のような“自棄を起こして野放図に走る”輩だけにして欲しい。「俺が傷つく分には構わんが、誰かが傷つくのは許さん」。それが偽善の真骨頂。
だから皮肉で反語を言うのだ。理想を振りかざすだけの“万年中二病”であったなら、そんな苦労や傷を負うこともなかったろうに、と。現実を直視しない理想“主義者”は、現実に抗わないからこそ、傷つくことも、その苦労も知る訳が無い。だから嫌いなのだ。
だから
単に理想を述べるだけでなく、今自分の身におかれた状況を改善し、その理想を実践しようとしているが故に、その苦痛に耐え忍んでる貴方が“万年中二病”な訳が無いだろう。もう一度言うが、理想を振りかざすだけの“万年中二病”であったなら、そんな苦労や傷を負うこともなかったろうに、と。もうこのエントリもご覧になられることもないでしょうけど、せめて、傷つき疲れ果て過ぎないよう、御自愛頂きたいと願うばかりである。
身をすり減らして果てることを望むのは、俺のような“自分の命の価値を菓子の包み紙程度にしか考えていない”人間だけにして欲しい。
俺はただの銃剣でいい
神罰という名の銃剣でいい
俺は 生まれながらに嵐なら良かった
脅威ならば良かった 一つの炸薬ならば良かった
心無く 涙も無い
ただの恐ろしい暴風なら良かった
これを突き刺す事で
そうなれるのなら そうしよう
そうあれかし
- 作者: 平野耕太
- 出版社/メーカー: 少年画報社
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