研究には金が要る。殊に“直ちに”結果が出る訳ではない(例えば、半減期数万年の放射性物質を隔離封鎖するのに必要なコンクリートの耐久性試験には十数年の歳月を要する)、しかも必要不可欠な研究には殊更に、だ。だのに寄付金の多寡を原子力推進政策との“癒着”を指標代わりにするのはアンフェアではないのか。研究が成されねばパテントは諸外国に奪われる。原発を「アメリカからの押し売りだ」と訴えるのと、研究費の多寡を非難するのは両立しないことを、“反原発派”を称する方々はどの程度理解されているのか?
追記: 研究者の抱える矛盾
@o_okuサンへの返答。研究に従事して初めて分かる事。現在研究中の内容は、その一部でも漏れようものなら、容易く他の研究機関のヒントになり、パテントを奪われる結果になる。だから研究結果の秘匿性と、運用金の透明性の公開は著しく矛盾する。しかもそれを国家の財産として保護するも、天下りの手段として運用するも“政治屋の手腕一つ”に因るから性質が悪い。政治家は大概文系出身だが、この手の権謀術数には理系の専門家と称される“馬鹿真面目”(=分野オタク)はかなり疎いので容易く手玉に取られる。この“政治力学的不均衡”が問題なのだとは、多分多少の識がある輩は理解しようモノだが...ではどうすべきかというと、もうここまでくると“人間の本質”に関わってくる問題なので、如何ともし難いのが、最大の問題だわな。