「いうこときかない悪い子は 夜中迎えに来るんだよ」
ずっと記憶に残っていたこの台詞、この曲だった。
- 吉幾三 「おばけがイクゾー」
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で、「?」と思ったのだ。OP「ゲゲゲの鬼太郎」では
「おばけにゃ学校も しけんも なんにもない」
という歌詞がある。"いうこときかない悪い子"には"天国"みたいな場所じゃないか! でもEDでは妖怪の世界に行くのは"咎"のように語られる。
何で? と、暫く考えて、
「ああ、こういうことか」
と思ったのである。
"死"の定義
"死"の定義は難しい。だからこそ"脳死の定義"で散々揉めたのである。
本邦で人を「死んだ」と法的に判断できる権限を持つのは医師だけなのだ。仮令首ちょんぱだろうが胴体分離だろうが肉片だろうが、"それを診察して条件が揃った"のを確認して「死んだ」と診断される。死亡は「診断」なのである。ただ、その条件は「三徴候説」に基づいて行われる。首ちょんぱや胴体分離や、いわんや肉片に、それはないので。
一方、民法上の死の定義はないが、死と判断されたことによって「死亡によって人は権利能力を喪失する」と定義されている。
俺はここに重きを置く。民法の述べるところの「権利の喪失」は、この世界に対する干渉権限、Update権限の喪失である。
干渉権限喪失
法的な権限の喪失はともかくとしてもだ。例えばの話、俺は祖父と上ホロカメットク山の爆裂火口まで登ったことがあるが。
(写真中央に映っているのは父です。祖父がいるのは俺の後ろ。父は亡くなってません。)
もう、その祖父は亡くなった。俺には祖父との思い出はあるが、祖父はまた俺と一緒に上ホロカメットク山に登ることはできないのである。
新たに思い出を作り出せない=これこそ「Update権限の喪失」である。
思い出は誰にでもあろう(それが良しかれ悪しかれ)。ただ、死人は新しい思い出は作れないのである。
だから。
「死後の世界=干渉権限喪失」だからこそ、
- 「学校も試験も無い」=新たな知識や見解は得られない
- 「会社も仕事も無い」=何も作り出せない
- 「夜は墓場で運動会」=やることないし、やってもなんにもなんないし、トラック何週したってなんにもならない
のである。
そう考えると、最初の「冥界への誘い」は実に恐ろしいのである。
永遠の輪廻
そういう意味で、冒頭の
「いうこときかない悪い子は 夜中迎えに来るんだよ」
というのは、実に恐ろしいことになる。
「進歩・進捗のために努力できない奴は"死んでる"のと大して変わりはないから、迎えに行くよ」
なお、TV版のEDではここしか放送されなかったが、歌詞には続きがある。
「泣いてばかりの弱い子は 夜中迎えに来るんだよ」
「おふろ入らぬクサい子は 夜中迎えに来るんだよ」
まぁ後者は「公衆衛生を保てない奴は立ち去れ」なのだが。
流石に冥界の住人も「これはないわー」ってのが最後にくる。
「おばけをおこらすと
こわい顔して 家の窓
そっと開けては寝てるとこ 夜中さらいに来るんだよ」
あのさぁ、亡者だって住んでるところがあるの。そこのちょっかいかけたり土足で踏み込んだら、亡者じゃなくたって怒るわ。
怒ってるからこそ"迎えに来る"じゃなく"さらいに来る"。マジでこわい。