「俺は前進している」と言えば、「“前進”と“前のめり”は異なる」と言われる。まさにその通りである!!
軟弱者の愚者が、さも前進せんと見せかけるため、自ら前のめりになる事を望んだ。そのいかに無様なるかを認識しているつもりで、而してまた愚かにも何も解かってはいないのにも関わらず! しかもまたそれを己の性質の為“仕方がない”で済ませようとしている。何故その軟弱なる気質を叩き直し、確かに前進することを望まなんだか!
しかもその“前”進さえ、「前」であるのかどうかさえ定まらない! 否。最早何も定まってはいないだ! 俺は謝っているのか、誤っているのか、誤っていると思い込む自分に酔っているのか、慰めているのか!?
この身は誰かの為でならなければならないと、強迫観念につき動かされてきた。そうしなければ自分が存在することさえ許されないと思っていた。これを偽善と言わずに何と言う!! それが苦痛だと思う事も、破綻してると気付く間もなく、ただ走り続けた!! しかしその偽善と虚栄で出来たものは巨大で有害な木偶であった。そんなのは偽者だ。そんな偽善では何も救えない。否。元より、何を救うべきかも定まりはしない———!!