- 「医療は単なるサービス業か」: Dr. どくちる「ある内科医の独り言 - 楽天ブログ」
プロ意識、というのは脇においておくとしても、所見をとった上で診断や処方を決めたのに、患者側から「点滴を打たなくてもいいのか」「胸部写真は撮らなくてもいいのか」「心電図は必要ないのか」といちいち要求をされたのでは、まぁあんまりいい気分じゃないだろう。終いにはWebに転がっているアヤシゲな情報から「…してくれ」と言われた日にはもう(汗)
ところがどっこい、病院実習が始まってからというもの、俺はこの類の光景にお目にかかったことは無く、むしろ「治療に関しては全て先生にお任せします」って患者さんがいて「いやいや、治療をどうさせれるかは患者さんが決めるのですよ」と教授が一生懸命説明している様を見て何だか奇妙な気分。もちろん選択を患者に放り投げているのではなく、「手術はこういう危険があるから、効果は少なくてもいいからこっちの治療法にしてくれ」っていう考え方があっても良い訳で、その価値基準を医者が侵犯するわけにはいかないから、色々と選択肢を提示し、各選択肢の効果と危険を説明した上で、我々はこの治療法をお勧めしますが如何します? となる訳だが。
「患者にも色々いるから」と簡単に結論付けてもそれはそれでいいのかもしれないが、どうもこの2つの極端な例の根幹は一致しているような気がするのだ。要するに“知らない”のだ。検査や診断を不要とした理由を“知らない”から、あれやこれやの要求が出てくるのだろうし、どんな治療法が有効で危険か、その選択肢と判断基準を“知らない”から、医者側に主導権を投げ返してしまう。こうなったらトコトン納得するまで説明しまくるしかあるまい。権利とは「知る権利」だ。