2004-12-12 “自己”満足 思考 俺を満足させ得るものは、その行為をしたという“事実”などではなく、行動による結果 —すなわち対象ないし公共の効用の増大を、feed-back下に検証し得た時のみ*1である。 どれだけのことをしたか“のみ”で満足できるほど我が欲望は矮小ではなく、また効果の無い行為など芽の出ぬ種子たねと同じ*2である。 *1:「過程が大事」との意見もあろうが、その過程とてそれ以後の行為へ転用し結果を得ることで初めて意味を持つのであって、それまでは無価値。而して過程を伴わない行為は往々にして“虎の子の一発”であり、後に続かない。故に長期的結果積算量は少ないだろう。 *2:「芽の出ぬ種子たねと同じ」…中島敦の著作「文字禍」の中に「芽の出ぬ種子たねは、結局初めから無かったのじゃわい。」という記述がある。