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世知辛い世の中の医療

自習室で某友人が言っていた判例はこれか。
一見、医療者側からみれば理不尽な話だが。「患者から断られた場合、検査の重要性を十分説明すべきだ。1度断られたことが検査を怠ったことを正当化するものではない」という部分が気になる。


90年初診で、最終の検査が98年。多分この間何も変化が無かったから、「もういいや」と患者側から拒否したのかもしれない(もし「もう大丈夫でしょう」なんて医師が言ったとしたなら、これは情状酌量の余地無く医療過誤だろう。肝硬変は不可逆性なんだし、HBV/HCV感染(+)なら発癌の可能性は一生ついて回る)。あくまで予想だが、腫瘍マーカー(多分AFPだろう)の検査はしなくなっても、この患者、1月に1回、外来受診には来てたんじゃなかろうか。で、患者・遺族側にとってみれば、検査は断ったにせよ、通院はしてたのに、癌を早期に発見できなかったのはどういうことだ!って。でもなければ、自分の判断で通院にも来なくなったのであったなら、幾らなんでもこんな判決が出るとは、考えにくいと思う。説明する機会はその後何度でもあったのに、1回ぐらいの説明で引き下がるな、っていうことなら、この判決も分からんでもないが。「患者さんも、もういいって言ってるし、8年も何ともなければ多分大丈夫だろう」と迂闊な楽観をしてしまったのでは、ないかなぁ? そうでないなら、マジで医療者にとって手に負えない判決になる。
事実はどうだったのか、是非判決文を読んでみたいね。マスコミの書く記事なんざ、どうせ必要な情報の半分も載せちゃいない。民衆を煽る様な記事書かないと売れないらしいから(藁)
まぁアレだ。説明というか、検査の必要性を2・3度説得しても受け入れてくれなければ、一筆書いて頂きましょう。「私は担当医からの説明を受けましたが、私自身の自己決定により、検査は受けないこととしました。この検査を拒否したことによる不利益の責任は全て私が負うものとし、担当医ならびに病院に対しては一切責任を問いません。」
…こんなこと書いてもらわないとならないのか。なんて世知辛い世の中だ。仮令、「自分の生涯は自分で決める価値がある」としても、“お節介”しちゃ駄目なのか。「あの時やっておけば良かったのに」と呻くよりマシだと、思うんだけど。

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