これ書いたら炎上する側かなぁ。
Go Toでちょっと高い旅館に泊まったら、大失敗。出てきた夕食がこれ。さらに天麩羅とごはん、お吸い物。多すぎて到底食べきれない。シニア層がメインターゲットのはずなので、つまり廃棄前提(としか思えないし、実際にかなりの廃棄が出ているはず)。不味くはないけど、体験価値としては…… pic.twitter.com/hw3xsCQTfM
— よりかね けいいち@子どもに伝えたいIT/メディアリテラシー(noteサークル) (@k_yorikane) August 10, 2020
めっちゃ炎上してますがこのtweet。確かに酷い言いようだ。だが、「多すぎ」という感想は前々から思ってて、実際既にblogに書いたんだけどな。所詮辺境blog、炎上もしねぇ。
terra-khan.hatenablog.jp
もう、数多のtweetがあるように、食べきれないほどの豪華な料理が出ることこそ当然で、それこそが贅沢というのはそうなのかもしれない。俺は学生時代奨学金貰って生活してた*1クチで、研修医2年目末に都市圏の高額家賃と大学病院の安月給*2で貯金0円になった俺からすれば、かような贅沢は分不相応なのかもしれない。
だけど、『千と千尋の神隠し』の千尋の両親のような豚にはなりたくないのである。
ついでに言うと俺は屯田兵の末裔だ。荒れ地と極寒の北海道を先祖が死ぬ気で開拓したのを知っている。米一粒作るのに、さらに旨い米を作るのにどれだけの心血を注いでいるのか、その祖父のともに生きたのだ。
旨い料理を沢山並べるのは贅沢だ。旨いからこそ、その食材を生み出す人が、それを料理した人が、この料理を作るのにどれだけ力を尽くしてくれたのか想像に難くない。だから食わずに残すのは「もったいない」。だけど、食えぬもんは食えぬのだ。胃の容量というものはあるし、食べすぎて苦しい思いをするのは御免被りたい。かといって残してしまった料理には「申し訳ねぇ、申し訳ねぇ」と思ってしまう。だから「量を加減してくれないかなぁ」と思うのである。
何時ぞや「ご飯を御櫃で出さないで」とblogかtwitterで書いた気がする。こちとら基本一人旅なので、御櫃に入ったご飯を分けることはない。全部俺の分なのである。食べきれない可能性もあるので、本当は茶碗で"お代わり自由"にして欲しい。御櫃に食べきれないご飯が残ってしまうと「申し訳ねぇ、申し訳ねぇ」と思ってしまうから。
まぁ、結局全部食べるんですけどね!
だから、仮令それが贅沢というものであったとしても、食いきれない料理を出すのは何とかならないか、という点においては、賛同する。
だがしかし、
「大失敗」だの「不味くはないけど」だの…
黙れ。