オチを言っては噺にならぬのだ
terra-khan.hatenablog.jp
長万部温泉郷から、集合場所の「黒松内町 ふれあいの森情報館 マナヴェール」まで30分も要さない。頃合いを見計らって出発。
「リバー・ウォッチング」開幕!
黒松内ブナセンター主催のネイチャーセンタートレッキング(とは称さないが)。先月の粘菌観察に続いての参加である。今回は市街地の真ん中を流れる寺ノ沢川を歩いて遡るのだ。
信じるものは救われる場合がある
別のエントリに記載するとは思うが、旅行中タイヤがバーストする事態になりまして。
宿の500m位手間で車のタイヤがパンクした…JAF待ち…
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月15日
あれやこれやして帰宅した後、残った荷物を取りに再度車に戻って開けようとしたら、あれ? 御守が無い! ん? 貴重品袋のなかにあったわー、よかったー…ってちょっと待て。
帰宅して気付いた。交通安全御守が外れてる。 pic.twitter.com/kKywrpIb9q
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月16日
もし運転中に外れたなら、シート下に落ちて、下手すれば見つからないところだった。自宅に着いてから外れたことになる。
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月16日
奇妙なのは、御守の糸の結び目はほどけていないし、金属リングの切れ目も広がっていない。どうやって外れた?
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月16日
今回タイヤがパンク(というかバースト)する事態に見舞われたが、幸運なことに誰も巻き込まず、しかも発生したのが峠をほぼ下り終わった、宿泊地の目前だったので、JAFの救援が来るまで宿泊地で待っていられた。かつ、スペアタイヤがあるのでタイヤ交換だけで済んだ。
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月16日
翌日某カー用品店で速やかにタイヤを交換してもらえ、旅の続きができて無事帰宅で来た。これもこの御守のご加護故なのだろう。そして力を使い果たされたんだ。
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月16日
今日と平日はもう無理だが、来週神社に行ってお焚き上げをしてもらい、新たに御守を頂くことにする。ついでに石畳修復の奉賛金を重課金してくることにするよ。
— Terra Khan (@DrTerraKhan) 2020年8月16日
"重課金"などと茶化して言ってますが、本当にそれ相応の金額は納めてくるつもりです*1。私の旅は、神仏のご加護があってこそ。だからこそ寺社仏閣を訪ね、"あれやこれや"するのです。
*1:領収書を公開する気はないです
御櫃の呪い
これ書いたら炎上する側かなぁ。
Go Toでちょっと高い旅館に泊まったら、大失敗。出てきた夕食がこれ。さらに天麩羅とごはん、お吸い物。多すぎて到底食べきれない。シニア層がメインターゲットのはずなので、つまり廃棄前提(としか思えないし、実際にかなりの廃棄が出ているはず)。不味くはないけど、体験価値としては…… pic.twitter.com/hw3xsCQTfM
— よりかね けいいち@子どもに伝えたいIT/メディアリテラシー(noteサークル) (@k_yorikane) August 10, 2020
めっちゃ炎上してますがこのtweet。確かに酷い言いようだ。だが、「多すぎ」という感想は前々から思ってて、実際既にblogに書いたんだけどな。所詮辺境blog、炎上もしねぇ。
terra-khan.hatenablog.jp
もう、数多のtweetがあるように、食べきれないほどの豪華な料理が出ることこそ当然で、それこそが贅沢というのはそうなのかもしれない。俺は学生時代奨学金貰って生活してた*1クチで、研修医2年目末に都市圏の高額家賃と大学病院の安月給*2で貯金0円になった俺からすれば、かような贅沢は分不相応なのかもしれない。
だけど、『千と千尋の神隠し』の千尋の両親のような豚にはなりたくないのである。
ついでに言うと俺は屯田兵の末裔だ。荒れ地と極寒の北海道を先祖が死ぬ気で開拓したのを知っている。米一粒作るのに、さらに旨い米を作るのにどれだけの心血を注いでいるのか、その祖父のともに生きたのだ。
旨い料理を沢山並べるのは贅沢だ。旨いからこそ、その食材を生み出す人が、それを料理した人が、この料理を作るのにどれだけ力を尽くしてくれたのか想像に難くない。だから食わずに残すのは「もったいない」。だけど、食えぬもんは食えぬのだ。胃の容量というものはあるし、食べすぎて苦しい思いをするのは御免被りたい。かといって残してしまった料理には「申し訳ねぇ、申し訳ねぇ」と思ってしまう。だから「量を加減してくれないかなぁ」と思うのである。
何時ぞや「ご飯を御櫃で出さないで」とblogかtwitterで書いた気がする。こちとら基本一人旅なので、御櫃に入ったご飯を分けることはない。全部俺の分なのである。食べきれない可能性もあるので、本当は茶碗で"お代わり自由"にして欲しい。御櫃に食べきれないご飯が残ってしまうと「申し訳ねぇ、申し訳ねぇ」と思ってしまうから。
まぁ、結局全部食べるんですけどね!
だから、仮令それが贅沢というものであったとしても、食いきれない料理を出すのは何とかならないか、という点においては、賛同する。
だがしかし、
「大失敗」だの「不味くはないけど」だの…
黙れ。